さる大店の番頭が、春の日に奉公に来ている娘さんが寝ている二階へ鼠入らずを踏み台代わりにして忍び込んで、まんまと嫁にすることが出来た。という『引越の夢』の二番煎じな噺、ではありません。(^^)

ねずみいらず[4]【鼠▼入らず】
鼠がはいれないように作った,食物や食器をしまう厨子 (ずし)様の頑丈な戸棚。

大辞林4.0 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2019

 速記本「文芸倶楽部」1900年(明治33年)6巻4号(3月1日号)に即席三題噺と題して掲載されました。
 これも今では絶滅、というかまず鼠不入ねずみいらず(鼠入らず)が現代では通じなくなってます。『引越の夢』は吊り戸棚ですが引き違い戸の頑丈な戸棚も鼠入らずといいました。
「鼠入らず」だけではなく、この噺はほかにも現代では通じない言葉が多いので今後誰も手掛けないでしょう。三題いただいて圓喬がその場で拵えた短い噺、全文掲載いたします。

 

エエお題は春の日に鼠不入に花嫁という誠に綺麗なお題で少し煮焼き返しが附きませんが、春先はどうも人の心がウヮウヮして家にいると気が朽ちるなどと言って、ちっと寒いが梅見が良かろうというのでご運動をなさいます。
「どうもご無沙汰をしました。チョイと来ようと思ったが年始がまだチョイチョイ余ってるもんだからその年始の残りなどを済ましてチョイと今日は暇を得たから当家うちの隠居を誘って梅見に行こうかと思ってきたが……」
「ご隠居は御友達が御出でなすって梅を見にいらっしゃいました」

(蛇足註:冒頭の会話がわかりづらいですが、娘の嫁ぎ先に訪ねてきた父親と娘の会話です)
「イヤ誰の心も変わらぬな、ポカポカする春の日は家に落ち着いてはいられないテ、お前はその後、体はどんな塩梅だ、おっかさんが心配をしていた。来月は臨月だからといって一つ身などを集めているが、どうしても産前だから体を大事にしなくっちゃかぬ、大丈夫かい」
「アノたまに阿父おとっ様がお出でなさいましたのにこんなお話をいたしますのも嫌ですが、実はどうしても私に辛抱が出来ません」
「それは往けない。これほどの亭主を持って隠居といえばアアいう阿父さん、どう考えたってお前の辛抱のできないというはずはない。何でそんなくだらない事を言う」
「アノ若旦那は誠にお優しい、阿母さんも、誠にお優しくしてくださいますすし、阿父様もアアいう方で何も悪い事はありませんが、御友達が御出でになるりますと私の事を色んな事を仰います。それよりも面と向かってお小言を仰れば良いのに、当てつけて影で仰いますので……」
「ナニ当家うちの隠居が、お前んとこの隠居はそんな意地の悪い人じゃないよ。どんな事を言うのだ」
「アノ一昨日おとといの晩ですよ。誠にうちの嫁はイタズラもんで困ると仰いました」
「イヤそれはトンでもない。ほかの事とは違う、娘を寄越して自分の口から言うのも可笑しいがいたずら者と言われちゃ黙っていられない。何がいたずら者なんだ」
「そうしてこう仰るのですよ。お菓子なぞを出しておくとすぐ喰ってしまうって。私はつまみ食いなどした覚えはちっともありませんのに。鼠不入をかじって誠に困るって。私はそんな馬鹿なことをした覚えありません」
「ナニ隠居が鼠不入を……ウッフ……そうか、それはするよ。嫁がいたずら、まあ良いよ」
「何でございますね。あなたまでそんな事を仰いまして」
「イヤお前がそう涙ぐんで話をするから言って聞かせるが、それはお前の事を言ったのじゃない。それは鼠不入をかじったと言ったので分かったが、当家の隠居は歌人うたよみだから鼠の事を嫁の君、嫁がいもなどという歌言葉がある。それを使ったのだから決してお前の事を言ったのじゃない」
「嫌ですね。私は鼠などにたとえられるのは」
「好いよ、来月は臨月だから、やがて巣に付くじゃないか」


(おはり)


 サゲも分かりづれぇ~!!! (^^) それに当時はともかく現代で演れば、ポリコレ界隈の人たちから「女性をそれも妊婦を鼠にたとえるとは何事!」と叩かれそうな内容ですね。

嫁が君(よめがきみ)

「新年-動物」の季語
正月三が日に鼠を呼ぶ忌み名。関西地方のことばという。嫁御(よめご)・嫁御前・嫁女などと呼ぶ地方もある。鼠は大黒様の使いとして、米や餅を供えるなど、正月にもてなす習俗も広く行われていた。

明くる夜も ほのかに嬉し よめが君 其角
三宝に 登りて追はれ 嫁が君 高浜虚子
どこからか 日のさす閨(ねや)や 嫁が君 村上鬼城
ぬば玉の 閨かいまみぬ 嫁が君 芝不器男
囓られし 写楽の顔や 嫁が君 阿波野青畝
嫁が君 この家の勝手 知りつくし 轡田進
嫁が君 全き姿 見られけり 野口里井

合本 俳句歳時記 第四版 (C) 株式会社角川学芸出版 2008

 明治後期の新作で三遊亭園左(小泉熊山)のネタ、三井財閥の益田太郎冠者作『かんしゃく』にも少々似ておりますね。もちろんこの圓喬の三題噺の方が先です。
 ちなみに三井財閥は三題噺の会(酔狂連)を真似て催した三題噺会で師匠圓朝を幇間のように扱いました。師匠思いの圓喬は生涯にわたって三井の宴席を生涯断り続けました。

 

 

 鼠の懸賞の引換券です