速記本「都にしき」(錦華社)の1896年(明治29年)7号に掲載された三題噺です。
 お題は
・白井権八

しらい‐ごんぱち【白井権八】 ‥ヰ‥ 浄瑠璃・歌舞伎で平井権八に仮託した役名。遊女小紫となじみ、辻斬強盗を働いて処刑された事件を俠客幡随院長兵衛と結びつけ「鈴ヶ森」②などに脚色。 →平井権八。
→しらい【白井】

広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店


・願人坊主

がんにんぼうオず[5] -バウ-【願人坊主】
江戸時代、上野の東叡山(トウエイザン)寛永寺に属した修行僧。
〔広義では、こじき僧、または、髪の毛の のびた僧を指す〕かい → 願人

新明解国語辞典 第八版 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2020


・魚売り

うお‐うり うを‥【魚売】
〘名〙 魚を売るのを職業とすること。また、その人。いおうり。さかなうり。
※今昔(1120頃か)三一「小鷹狩に北野に出て遊けるに、此の魚売の女出来たり」
さかな‐うり【魚売】
画像 魚売り
〘名〙 魚を売ること。また、その人。さかなや。
※天正本狂言・連歌の十徳(室町末‐近世初)「一人出てさかなうりと名のる」

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 お題としては三題全てが人物なので、好いお題とはいえないと思います。
 橘家圓喬 口演
 納谷直次郎 速記
 このお題で速記者が直次郎さんですよ! ちょっと笑ってしまいました。

片岡直次郎
没年:天保3.11.23(1832.12.14)
生年:寛政5(1793)
江戸後期の小悪党。通称直侍。旗本渡り用人の次男として生まれた。河内山宗俊と共に悪事を働き入獄したが文政7(1824)年追放となった。再びゆすりたかりを行ったため召し捕られ,江戸千住小塚原で処刑された。買いなじみの吉原大口屋の遊女三千歳が死骸を引き取り回向院に墓を立てた。河竹黙阿弥作の歌舞伎「天衣紛上野初花」の三千歳直侍の件は独立してしばしば上演される情話劇となっている。

(梅崎史子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版

 閑話休題それはさておき、圓喬が即興で創った噺ではなく、マクラによりますと、圓朝ししょうなどが言っていたのは、昔は御客様からお題を頂戴してお噺をいたした。ところがしまいにはそのお題が三ツ重なるようになって三題噺と言うのが大層流行をいたしました。その時分のお噺とあります。
 酒は百薬の長だが、度外に召し上がると御毒になります。何でも度外に召し上がれと往けませぬ。
 牛肉は滋養物だ滋養物だと言ったって、ロースを三人分も食べて頭に氷を載っけてなぞは薬にもなりませぬ。
 と当時の牛肉事情にも触れてますね。明治29年にロースという名称が一般的だったことが分かります。牛肉を食べ過ぎると逆上せると言うことでしょうかね?

 

 お酒も薄っすら召し上がっているとこのくらい陽気なものはない「酒はただ飲まねば須磨の浦淋し過ごせば明石声の高砂」余り度外に召し上がりまするというと、往けませぬものでございます。盤台担いで千鳥足
「エーご免なせい」 「音か。また酔って来たか、普段はいいがあれはどういうものか、酔うと調子が違う。オイ何かあるか」

 咄本醒睡笑せいすいしょう(安楽庵策伝 1623年)にでてきます「酒和唯飲禰波須磨乃浦閑天飲波明石能浪風楚立」という狂歌を圓喬がアレンジして披露してます。

あんらくあん‐さくでん【安楽庵策伝】
江戸初期の浄土僧・茶人・笑話作者。落語の祖といわれる。京都誓願寺竹林院の住持。のち、寺域に茶室安楽庵を結ぶ。「醒睡笑」を著して京都所司代板倉重宗に呈した。(1554~1642)

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 この「盤台担いで千鳥足」で特に説明せずとも酔った魚売ということが分かりますね。巧い表現だと思います。
 この魚売家主の所へやって来て、盤台一杯の鰺を五両で買ってくれと言います。そんなべらぼうな値段で買えるわけがないと家主は断りますが、この魚売「俺の命も付けるから五両は安いだろう」と食いさがりますが、家主は相手にしません。
 なら頼まねえ、と魚売は往来へ出て「盤台一杯の鰺と俺の命を付けて五両だ。誰か買わねぇか」と大声を上げながらあっちへ寄ったりこっちへ寄ったり売り歩きます。
 そこへ現れたのが「茶地の御袴に黒の御召、四分一拵えの大小、裏白の紺足袋に雪駄履き、深編み笠を冠った、人品のよい立派なお侍」と圓喬は流れるような描写です。
 侍は「相違ないか」と魚売に確認します。
「五両の金がなければ生きていても詰まらない話だ。わっちが死んでも金があればどうにかなる、買っておくんなせい」
 柄へ手を掛け居合い腰になってスラリと抜いたかと思うと、刀が鞘に納まった途端、紙に包んだ物を盤台に放り込んで雪駄の音をチャラチャラさせて急ぎ足で離れていきます。
「結局大きな事を言っても買わねえのか、馬鹿侍」と悪態をついてヒョロヒョロ歩いて自分の家の門へ来ると、石につまずきバッタリ倒れて真っ二つ。
 近所の者は大騒ぎで、母と弟を呼びますが、もうどうにも仕方がありません。盤台の中に何やら紙包み、広げてみると小判が五枚。そこへ家主が駆け付けてきて、そういえばこいつは五両で鰺と命を買ってくれと言っていたが、そのせいかしら。お上に届け出て弔いを致し野辺の送りも済ませましたが誰が斬ったのか分からず、四十九日の日。
黒羽二重の紋付き浅黄献上の帯、絽色鞘の細身の大小深編み笠に雪駄履き」という誠に人品のよいお侍が「魚屋の音松殿のお宅はこちらでございますか」と訪ねてきます。
 聞けばこの侍、鳥取藩の白井権八といって、音松の妹お菊、今は吉原三浦屋の小紫の買い馴染み。実は小紫から近くを通ったら訪ねてくれと頼まれてのことだった。何か言付けでもあれば承りましょうとの申し出。ここで白井権八は新しい位牌が目につき問えば、音松のものだという。
 音松の母と弟の口から子細が語られる。
「音松たちの父親はお屋敷にいる時分、お上から拝領した刀があったが、段々と落ちぶれ、彼女あれ(蛇足註:娘小紫のこと)を吉原に遣るくらいなので、その刀を五両で質入れしていたが、親父が死ぬ間際、あの刀だけはどうか人手に渡さぬよう申していたのだが、とうとう流れが来たので音松はどうやら命を五両で売って金を工面したと思っております」
白井権八「宗までの刀さぞや名作じゃろう。備前物か粟田口か」
「その刀は一夜切りと申して大層切れる刀だそうで、親父が死に際にくれぐれも決して殺生をするものではないと申しておりました。というのも、親父がある夜吉原へ通う自分に土手のところで麻の衣を着た願人坊主がおりまして、親父に向かって、旦那お願いでございますから何卒私の命を五両で買って下さい、そう言われまして、親父はそんな人じゃござんせんがその時はどうした物かフラフラと刀を試したくなって、明日の晩ここに来るからその時に買ってやろう、必ずここで待っておれ、そう言って明くる晩そこへ行くと願人坊主の方から声を掛けてきたので、五両を渡すと願人坊主はそれを懐に入れ尻を捲って悪態をついて逃げようとしたので、親父はもはや堪忍ならず、逃げる願人坊主を真っ二つに切ったのがその刀だそうでございます」

 登場人物と出来事が複雑に絡んで圓朝作品を思わせる展開ですね。ここからサゲに入ります。

白井権八「フフン、してみるとよっぽどの名作じゃ、親父殿もなかなかの手利きと見えるが、ハテナ梨子割りか胴切りか、車切りかな」
弟「聞けば袈裟懸けだったそうでございます」
(完)
 どうです!? 肩透かし? 腰砕け? さんざん盛り上げておいてサゲはこれだけです。伏線を何も回収してないし、こりゃ誰も演らなくなるはずです。