前回のバレ噺に続いてまたもやあたくしの品位が疑われるコラムです。三遊亭圓喬と署名された「足のでかい名古屋女」は写真雑誌「グラヒック」の1911年(明治44年)新年増刊号「日本の美人」に掲載されました。

 この雑誌は先年復刻版を発行した柏書房の梗概によると

20世紀初頭の写真雑誌『グラヒックTheGraphic』(1909.1~1912.6、有楽社発行)の復刻版。帝国主義化をすすめる日本の、政治、社会、風俗、人物などが多様に写されている。国内には極めて現存数が少ない稀覯雑誌である。

 ということらしいです。全八巻 B4・2,480ページで本体250,000円+税です。(^^)

ちなみにこの号は全40ページで当時二円五十銭でした。

 

 この雑誌、ほかの号は知りませんがこの号に関していうと、現在ならば炎上して廃刊間違いなしの内容となっております。目次のグラヒックを載せますね(^^) 興味のある方は拡大して表題だけでもお楽しみ下ださい。

 

 

 緒言にありますのは、要は昨年國民新聞に連載された「日本一の美人國」という記事を今回譲り受けたのでここにまとめて再掲します、ということらしいです。

 流石「國民新聞」ですね~、今の東京新聞がその末裔だとは信じられません。

 圓喬のコラムは最後に載せるとしまして、いくつか興味のある、あるいは今なら炎上間違いなしの辛口コラムを紹介しましょう。

 まずは当時絶大な人気がありました赤坂春本の芸者「萬龍まんりゅうについて、芸妓屋の女将は目次の二で「萬龍は誠にお粗末な女」と題して、次のように書いてます。

 

 日本はおろか支那人外国人にまでも知れ渡っている赤坂の萬龍などは私どもから見れば、どうして世間の人があんなに騒ぎ立てるのかと思うくらいお粗末な女で新橋の静江などと比べたらほとんど比較にならないと言って好い位です。萬龍の顔なり格好なりを子細に見ますと、目がちんばで鼻は他人様がよく仰るように団子鼻、それに鳩胸で出っ尻でまず取り所といったらありません。

 

 ひどい言いようです。志ん生のクスグリ「中にァ随分大きな、おみ足がありますねえ。十三文甲高幅広で踵出っ張りの鍬足なんてえのがある」を思い出しちゃいました。

 それでもチャ~ンとフォローするのです。

 

 萬龍には他人に真似の出来ないそれはそれは美しい愛嬌が目元に漂うているので、私ども女でさえただもう見惚れてしまいます。つまり、心持ちが目に働くので、この心の働きが萬龍のあらゆる欠点を償なって余りありと言ったわけでしょう。

 

 さすがは芸妓屋の女将ですね。

 

 ここに出てきた「萬龍」と「静江」はこの号の巻頭写真に掲載されております。

 

 

 

 

 

 この二人を「萬龍や静江などは下女同様だ」とストレートに貶したのが与謝野晶子です。

 

 

 美人といえば直ぐ萬龍や静江を引き出して世間の人は大騒ぎをしますが、実に笑止千万で私どもの目から見ますと一寸も美人でも何でもありませぬ。

 

 剛速球です(笑)。そして与謝野晶子が美人としてあげたのは、大木遠吉伯爵夫人や西本願寺の九條武子、法華寺の尼さんで富子(これも九條家)などでした。ちなみに大木伯爵夫人はこちらです。

 

大木伯爵夫人幸子

 この方たちを天女とするならはもう一方は下女同様とこき下ろしてます。そして今美人の多い國は京都よりも大阪に移ったと大阪出身の与謝野晶子が断言しております(^^)。最後に晶子が見た中で一番の美人芸妓は新橋のぽん太と結んでます。

 

 ぽん太 本名:鹿嶋ゑつ 波瀾万丈の人生でした。

 さて、ほかにも「京は一等だが下品」という大丸呉服店支配人名古屋市長、秋田市長に交じって与謝野晶子が引き出した大木伯爵のコラムもありますが、目次を見てお楽しみ下ださい。国会図書館の無料登録会員になりますとネットで閲覧が可能です。

 圓喬のコラムは短いので全文掲載いたします。新字新仮名適宜改行と句読点を入れます。

 

 我が国で一番美人の多い土地は尾張の名古屋に京都、それに紀州の和歌山だと言うことを聞いております。しかし、名古屋の美人はどうも情に乏しいようで、それに足が比較的わりあい大きいのはどういうものでしょうか。
 京都は一口に吾妻男に京女郎じょろうというくらいで女は総体に美しい、中にも取り分けて美人が多いようですが、昔から第一の欠点は頭髪かみの臭いことです。これは例のせつやくつつましやかな所ですから髪を洗って結うと梳き油も鬢付けも水油もなかなか多く要るので、それが無駄だというところから髪を洗わないのでしょう。
 和歌山の女は私はよく存じませんが、人の話によると情は至って深いそうですが、一体にどうも良くいえば鷹揚で悪くいえばボーッとしているということです。

 

 あたくしが言ったんじゃなく圓喬が書いたんですから、お間違いの無きよう苦情は圓喬へ願います。

 しかし、良い時代でございましたな~。書き手(話し手)も自由奔放楽しさがにじみ出ている文章です。  そういえばこの号の広告にこんなのがありました。二つ折りした三味線の携帯ケースです。

 

 

 

 

 備考には三つ折りも製作可能と書いてあります。価格は四円七十五銭より。『百川』に出てくる常磐津の歌女文字師匠はこんな三味線箱だったんでしょうかね。

 

 次回は落語で少々サゲがお下品な『宗漢(そうかん)』です。

 

本文中には、今日では一部勢力によって不謹慎だとイチャモンを付けられる用語や、属性・性別などに関する自由な観念や真っ当な偏見に基づく表現が見られますが、作品が作られたのが好い時代だったなぁ~ということや、世の中には男と女しかいない(男と女しか認めない)ことを鑑み、底本のママとしました。それらの表現が作品の発表された良き時代を映し出し、現代社会の病巣を暴き出すことに寄与するものと考えております。😎😎😎