別題は『茗荷宿』『茗荷屋』と、どれも似(二)たり寄(四)ったりで六ったりな演題ですね(^^)
三代小さんのそれと比較して四代橘家圓喬の『茗荷宿屋』は短かった、という伝聞だけが残されていて、圓喬の速記は存在しないものと思っておりました。ところが、あったのですよ速記が、国立国会図書館に! 以前調べた時は気づきませんでしたが、何と国会図書館の目録というか目次が間違っていて「三遊亭圓喬」と有るべきところ「三遊亭喬」と圓の字が抜けてました。今回は目次だけでなく、国会図書館にある落語速記の内容をできる限り(600冊ほど)調べたところ、いくつか圓喬の速記を発見することが出来ました。そのひとつがこの『茗荷宿屋』です。他の噺も順次お送りいたしますので、ちょっと他では読めない圓喬の噺をお楽しみに~
この『茗荷宿屋』の一般的なあらすじを記します。
他愛もない噺ですが、三遊亭圓朝も速記(文章)を残しています。圓朝の『茗荷』(ママ)は1,100文字ですから、口演時間にして4分ほどでしょうか? ごく短い小咄といったところですね。
圓喬の『茗荷宿屋』は文字数3,500文字で時間はおよそ12分程度。寄席サイズでしょうか? 圓朝と圓喬はこの宿屋の名を明らかにしておりません。名無しのお宿です。
圓喬の特徴を交えつつあらすじを記します。今村次郎編「滑稽玉手箱」1906年(明治39年)服部書店刊からです。
マクラから宿屋の主に悪心が芽生えるまでを滑らかに描写してます。そしてここで例の槃特さんの故事が入ります。今と少し違うのは理屈っぽい圓喬らしく、なぜ槃特さんが名乗らなければならないのかを説明しております。原文ママ、新字新仮名で引用します。
この説明は細かすぎて今に伝わっておりません。ほぼ同時期(明治41年)に三代小さんの速記『茗荷宿屋』もありますが、そちらは槃特のそのものが出てきません。明治43年の小さんの速記『茗荷屋』には槃特に由来する茗荷の説明がありますから、圓喬のそれを参考にしたと思われます。
旅人が宿屋に預けるのは両掛の荷と大金百両ですが、師匠の圓朝はそれに莨入れを加えております。
小さんは、宿屋の主が夢で旅人の大金を狙って包丁を突きつけたところで女房に起こされるという、今の柳家に伝わる描写があります。しかし色々入れ込みすぎて軽い噺のはずが文字で6,000文字を超えてます。高座時間でいうと20分くらいでしょうか。速記を読む限り、小さんの『茗荷宿屋』は少々冗長に感じます。
夕の御膳が茗荷尽しだった旅人。朝に女中が持ってきた膳の描写が食い道楽(?)の圓喬らしいので引用します。
さすが「食養雜誌」という食養誌に「食通瑣談」と題した随筆を書いただけのことはあります。この随筆は短いので次回紹介しましょう。
師匠の圓朝は、両掛と百両の間に莨入れを挟みます。そして圓喬が「宿料」とした言葉は「宿泊料」としてます。小さんは「旅籠賃」です。(^^)
最後にお断りしておきますが、この槃特由来説は俗説ですから、あまり他で言わないようにしてくださいまし(^^)
由来説で有力なのは、大陸から生姜(しょうが)とともに持ち込まれた際、香りの強いほうを「兄香(せのか)」、弱いほうを「妹香(めのか)」と呼んだことから、これがのちに生姜(せのか→せんが→せうが→しょうが)茗荷(めのか→めんが→めうが→みょうが)に転訛したという説でしょうか。
「大門を 入る茗荷に 出る生姜」と誹風柳多留にあります。
ちなみに茗荷を栽培しているのは世界広しといえども日本だけです。
次回は圓喬全集のコラムをお送りします。

神奈川の台 東海道五拾三次之内 神奈川 台之景 歌川広重 天保4-5年(1833-34)
圓朝の『茗荷』麻由美さんが朗読されてます。