1933年(昭和8年)の「評判落語全集 下巻(大日本雄弁会講談社)」から六代橘家圓蔵(後の六代三遊亭圓生)の『船徳』を紹介します。
前回紹介した三つの速記(金三・三代小さん・五代圓生)と違えた箇所に重点を置いて、書きたいと思います。いわば後の六代圓生(便宜上この表記にいたします)が唯一残した『船徳』に、圓生はどんな磨き上げを行なったのか? それが黒門町の文楽へどんな形で伝播されたのか? できる限り書いてみたいと思います。
いかがでしたでしょうか? 黒門町~現代に伝わる『船徳』そのままと言っても好いくらいですよね。
ここで疑問が二つばかり生じた方もお出ででしょう。
- 六代圓生が黒門町の『船徳』をパクった。
- 黒門町、あるいは別の噺家の速記を六代橘家圓蔵(後の六代三遊亭圓生)として掲載した。
1.の可能性は薄い、というか考えられません。圓喬全集の本編ではあえて触れませんでしたが、圓遊独自の工夫(クスグリ)を圓朝や圓喬が取り入れることはあったのでしょうか? 凡庸な噺家だったらまだしも、圓朝・圓喬・圓生がそんなことをするようには思えません。噺家としての志の問題です。
2.はどうでしょう? 実は古い速記本は演者の記載が曖昧、故意に変えていることがあります。圓遊の速記を圓朝の名で掲載したりということがままあります。先日も圓喬の『心眼』の速記を発見したのですが、よくよく読むと(ようよく読まなくても)圓朝の『心眼』と一字一句同じでした。その時々で売れやすい演者と偽って発行することはあったようです。ただし、経験上どちらの演者も亡くなっている場合ばかりです圓朝の『湯屋番』(実は鼻の圓遊の速記)は圓遊死後の明治41年出版ですし、圓喬の『心眼』は圓喬死後の大正6年です。どちらも出版社は春江堂になります。
また1、2どちらの場合も圓生や文楽が文句を言いそうですが、縦しんば(小金馬)黙っていたにせよ、取り巻き特に安藤鶴夫あたりは声を荒げそうに思えます。
この速記は1954年(昭和29年)に同じ大日本雄弁会講談社から出た「落語全集 月の巻」に再掲されております。
二人ともバリバリの現役、後の講談社からこんな嘘の速記が出たならば、騒いだと思うのです。
状況証拠しかありませんが、六代圓蔵(後の六代圓生)の速記で間違いないと考えます。
黒門町の文楽がこれら速記や高座を見聞きした『船徳』をどう刈り込み、洗い上げたのか? 圓生の速記から十五年後、1949年(昭和24年)文芸誌「苦楽」(苦楽社)五月号に掲載された安藤鶴夫の「落語観賞」から八代桂文楽(並河 益義)の『船徳』です。
黒門町は圓遊・金三・小さん・五代圓生・後の六代圓生の速記から(あるいは高座から)取捨選択して時代に耐えうる噺に再構築したように思えます。
この速記から九年後の1958年(昭和33年)の速記ではどう変わったでしょうか? 変更点のみを抜き出します。昭和33年8月30日圓朝祭の口演速記です。
これだけです。もちろん言葉の端々に多少の違いはありますが、これ以外に削った箇所も付け加えた箇所もありません。さすが黒門町と言ったところでしょうか。
かい ここにラジオ番組で桂文楽が『船徳』を掛け終えた後、アナウンサーとの芸談音源があります。
この中で黒門町はこの『船徳』は震災前から高座に掛けていたと発言しております。震災とは、もちろん東日本ではなく (^^)1923年(大正12年)の関東大震災のことです。そしてどうやっても巧くいかないので、一時止していたとも語っております。5分43秒のインタビューになります。お時間が許せばお聞きくださいまし
このときの『船徳』の音源もありますので、よろしかったら。こちらは20分45秒になります。1956年(昭和31年)7月1日の録音です。黒門町がポリープの手術前の唯一の『船徳』音源になります。
二回に分けて長々と書いてきましたが、何か結論らしき事を書かないと気が済まない性格なので……。
それまで初代古今亭志ん生作の人情噺『お初徳兵衛』の前編にあったクスグリに時流を取り入れ一席の落とし噺にしたのが鼻の圓遊でした。そこから時流を刈り込み元に戻したのが三代小さんや五代圓生です。さらに六代橘家圓蔵(後の六代圓生)が今に残る、熊ンパチさ~んやお暑い盛りを入れ、入れ墨など時代にそぐわないクスグリを刈りました。それらを黒門町の桂文楽が時間を掛けて練り上げ、不動の落とし噺とした。
なんとも『船徳』の完成課程のようなおいしいとこ取りの結論になりました(^^)
八丁荒らしと呼ばれた初代志ん生の『お初徳兵衛』にも多くのクスグリが存在したことがハッキリしました。鼻の圓遊の功績は、今となっては消え失せた時流のクスグリを入れたことではなく、一席の落とし噺としたこと、その一点にのみあるでしょう。
そして、圓生・文楽の功績の方が圓遊のそれを上回ると言っては言い過ぎでしょうか?
圓喬の速記がなければ黒門町の「竹屋のオジさ~ん」という稀代のクスグリが生まれなかったと思うのです。
次は圓喬全集の本編に戻りまして『お初徳兵衛』の(下)をお届けする予定です。かなり長い人情噺なので分けるかもしれません。