Wi-Fi環境が悪くなり、時間がかかるブログの記録を休止していました。

 

今日は、大切なカンナ大使さんが亡くなったことを知ったので、

ここに残しておこうと久しぶりに開きました。

 

カンナを応援してくださる方のこと

 

2012年5月、FBで友達リクエストをいただいた方です。

 

こちらに残しておきたいのは2014年の投稿をシェアです。

シェアに添えて下さったお言葉をこちらに残したいと思います。

たった今、その方がこの冬(2023年1月)亡くなったことを知りました。

 

東京でも何度もお会いしました。

ミャンマーでもお会いしました。

ずっとカンナを気にかけて下さいました。

ミャンマーにもバトンを繋いで下さいました。

ミャンマーではカンナの花を見ると幸せになるそうです。

ミャンマーの言葉で「ブッダタラナン」というそうです。

そう教えて下さいました。

 

この写真はミャンマーに咲くカンナです。

ご冥福を祈ります。

 

カンナ・Pにご縁の須坂のTさんが2010年9月末に癌で亡くなりました。

その時、もうカンナの活動はやめようと思いました。

葬儀に参列の後、車まで見送って下さったご子息さまが、

「今度は僕がカンナを届けます。」と言って下さいました。

須坂でのご葬儀の帰りの真っ暗な運転の途中で、

ふと声が聞こえたような気がしました。

 

『橘さんよ、モンサンミッシェルまでカンナを咲かせちまって(笑)

面倒見きれねぇよ(笑)天国から見守ってやるよ!」

 

そうだ……もうひと頑張りしなくてはと思わせて頂きました。

その翌年の東北大震災。

被災地カンナリレーが始まりました。

被災地の校長先生の一言から始めたカンナスマイル(2011年10月〜)

福島にカンナをバトンしたことからのパチカンカン、ローマ法皇さまからのオファー(2011年8月)

そのご縁からのベトナムカンナリレー(2013年4月)

その飛行機の中での奇跡の宇宙カンナへのオファー。

子どもたちの夢プラン(2013年〜)=オリパラカンナ

そして今年の広島サミット(2023年5月)

 

頑張ることができました。

 

Tさんは天国にもカンナ街道を咲かせて下さっている

 

と私には思えるのです。

カンナと深いご縁を頂いた方々とは、きっと天国のカンナ街道で再会できるような気がします。

2012年7月、年下のカンナ大使さんが癌で亡くなりました。

コロナの前にも、広島のカンナ大使さんが2人亡くなりました。

コロナ禍に一番最初から応援してくださった方が96歳で亡くなりました。

オーストラリアのカンナ大使さん、広島のカンナ大使さん、

そしてミャンマーのカンナ大使さんが亡くなりました。

ずっとお逢いしていたのにコロナからはお逢いできないままでした。

 

きっと、天国のカンナ街道から見守って下さっているように感じます。

そこには妖精のかんなちゃんもいます。

Sさんも、どうぞ天国の真っ赤なカンナ街道を見つけて下さい🌺

皆でカンナの話に花を咲かせて下さい。

ご冥福をお祈りいたします🍀

 

 

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「カンナ」はミャンマー(ビルマ)語で「ブッダタラナン」といいます。

仏陀の三帰依(仏陀の教えを唱える、/お祈りする)という意味です。

先日、ミャンマー人の友人が、備長炭をミャンマーで指導、生産する拠点に日本人の方達と通訳兼サポート役としてとして北部の山岳地に行ったとき、いまだに日本人の骸骨があったそうです、ミャンマーのこの地では実に多くの人たちが、撤退する道々で餓死して死んで行ったそうです。

私たちは平和の中で今がありますが、このミャンマーの地でも実に多くの日本人の方々が犠牲なっています、また、多くの人がミャンマーの人々によって助けられています、このような史実によって今があることを、終戦の日を迎え改めて感じざるを得ません。

広島の原爆投下から1か月で爆心地から近いところで真っ赤な「カンナ」(ブッタタラナン)が咲いた事実を平和運動に「カンナプロジェクト」として10年以上も伝え広めれている、橘 凛保さん、ご協力者さんの皆さんに、ヤンゴンからエールを送りたいと思います。

ちなみにヤンゴン中央駅の前の小さな公園にもカンナが咲きます、残念ながら今は雨季で咲いていません。

(2014年夏〕

 

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