私は小学生の時から、ずっと






自分は生きる価値が無い人間






だと思っていた。








実際に私は、



これと言って何の特技もないし、



頭は悪い、



性格も良くない、



顔面偏差値は中の下、







実際に両親が、




「コイツは大丈夫なのか?」




と不安になったくらい、出来の悪い娘だった。









そんな何の取り柄もなく、頭の悪い私が、一番存在価値を感じたのが、裁判の時だった。










裁判真っ只中の時、私は母にずっと





死にたい





と言っていたし、







発作を起こしながら、






こんなに苦しいなら、あの時(事件当時)死んでればよかった!






と、何度も話していた。








その度に母は、





「生きてなきゃダメだよ。
イフ(姉)とキュウ(妹)だって嫌な思い(性被害)しても生きて頑張ってるんだから、生きなきゃダメ!」







と、お馴染みの姉と妹と比較することもあれば、






「家族のためにも生きてるのよ!」







と、生きていても対して役に立たない私に、




根拠の無い励ましをし、私の自殺を食い止めていた。









ある時私が母に、






こんな思いしてまで生きてる意味なんてあるの?あたしが死んでも誰も困らないじゃん!






と言うと、






その時の母は姉と妹と比較せず、






根拠の無い励ましもせず私に、








「今七菜子が死んだら、弁護士の城田先生にも、検事の木村さんにも、お世話になってる刑事さんにも迷惑がかかるよね?



みんな七菜子のために必死で頑張ってくれてるんだよ?



それに、七菜子が犯人逮捕に協力したから、他に被害にあった人も、そうでない人もアイツ(犯人)が捕まってる間は被害に遭わずに済んでるんだよ?




七菜子は十分役に立ってる。




だから生きてなさい。」





と、言った 。









母のその言葉を聞いた私は、






「あ、もしかしたらあたし、今まで生きてた中で、今が一番存在価値があるんだな。」






と思えた。









判決の知らせが来たとき、





「やっと終わった………。」





という安心感と、






犯人に対する刑罰が軽かったことによる悔しさと同時に、






あ、あたしの存在価値はもう無いんだ。






という悲しさもあった。







*「性被害にあわれた方の存在価値がない」という意味ではなく、あくまで「私自身に存在価値がない」と思っていたのでこのブログに書きました。




私は元々自分自身がとても嫌いです。





ただ、性被害にあわれた方で、PTSDなどの精神疾患になり、何も出来なくなってしまい、自分自身を憎んでしまう人も沢山いるんだと思います。





性被害にあわれた方は、生きているだけでとても逞しいと思っています。





かと言って、性被害にあって自殺した方を非難するつもりも全くありません。






「残された人(家族や友人、恋人など)のことを考えることが出来ないくらい、生きているのがよっぽど辛かったんだな。」と思います。






これ以上、自殺する性被害者や、自殺を考えながら必死に生きている性被害者を、一人でも増やしてはいけないためにも、






性犯罪者が自殺を図るくらいの、重い刑罰を与えるように法改正してほしいです。