今までのブログでも何度か書いているように、私には事件当時、生後数ヵ月の姪っ子がいた。






姪っ子と姉は毎日のように、うちに遊びに来ていた。





「その時」までは、姪っ子のことを単純に「可愛い」と思っていたし、





私の体調が悪いときでも、姪っ子は私の後を追って来るので、1日の半分をほぼ毎日姪っ子と過ごしていた。





「その時」まで姪っ子がどんなに大きな声で泣いても、毎回「よしよし」と抱っこして泣きやむのを待っていた。








ある時、またいつものように姪っ子が大きな声でギャンギャン泣きはじめた「その時」だった。







私はギャンギャン泣いている姪っ子を抱っこする母を見て、






「あたしの時(事件当時)はどんなに泣いて、大声だして、助けを求めても、誰も助けに来てくれなかった」





と思い、ギャンギャン泣いている姪っ子や、抱っこしている母をよそに、







私も別室で過呼吸を起こしながら、泣きはじめた。









これは後から出てきたPTSDの症状の一つだった。






こんなことは初めてだった。






まさかいつも聞いている姪っ子の泣き声で、事件を思い出すとも思わなかったし、







泣きながら抱っこされている姪っ子を見て、こんなことを思うなんて全く想像していなかった。








後でこの事を母に泣きながら話したところ、母も泣きながら、




「(事件当時)助けに行けなくてごめんね。」





と言っていた。







私の場合、この時を境に、姪っ子の泣き声を聞くのが怖くなったが




(これも「泣き声を聞いてまた発作が起きたらどうしよう…………」という予期不安だったのだろう)





一時的なものだったみたいで、数日後にはいつものように泣いている姪っ子を抱っこ出来るようになっていた。








これがもし、姪っ子が自分の子供だったらと思うと、





例え自分の子供だったとしても、パニック発作を起こしながら、泣いている我が子を抱っこなど出来なかっただろう。








性被害にあって子育てをしている女性で、このような過酷な状況に悩まされている人は何人いるんだろう。






「あの時被害にあわなければ、泣いているこの子を抱っこ出来たのに。」





と、悔しい思いをしながら子育てをしている人や、






「泣いている自分の子どもを抱っこできない自分は最低な母親だ。」






と、被害にあった自分のことを、死ぬほど憎んでいる人は、






誰かの手を借りて、少しでも生きやすい生活を送れているのだろうか。







私には子供はいないし、子育ての経験もない。







けど、性被害にあって、子供の泣き声がキッカケでパニック発作を起こした。







私の場合は、数日で姪っ子を抱っこ出来るようになったが、






泣いている子どもが自分の子どもでも、





他所の子どもでも、




このような症状が数ヵ月、何年も続いて苦しんでいる人はどれだけいるのだろう。







もし、同じような経験をしている人がいたらと思うと、






この世に性犯罪者を一人残らず全身バラバラにして駆除してほしいと、より一層思った。