以前、ブログで書いた通り、私の父は子育てに失敗している。
てゆーか、養われた記憶はあるが、育てられた記憶はない。
母のワンオペ育児だったからだ。
私は3姉妹の次女として生まれ、3人の中で一番頭も顔も悪く、これと言って何の取り柄もなかったので、父と姉に、
「どうして2歳下のキュウ(妹)は出来て七菜子は出来ないの?」
と親戚の前でもバカにされるくらいバカだった。
小学生で転校して来た私は、「新参者が来た」と、生徒にも先生にもいじめられるようになり、母に相談したが、
「そうなんだ。でも、担任の先生に文句言うと、キュウちゃんの担任になった時に、キュウちゃんが先生にいじめられると可哀想だからね。」
と言って話は終わってしまった。
その時私は、
「じゃあ、あたしは可哀想じゃないの?」
と聞けなかった。
聞いたところで、
「七菜子は平気でしょ?」
と、「そんなこと聞くなよ」という表情で返されるのが目に見えていたからだ。
私が高校生になると、姉がパニック障害になり、
自宅で過呼吸を起こしたり、
記憶が赤ちゃんや、幼稚園児になり、私や妹を見て「知らないお姉ちゃんがいる!」と怯えるようになったので、母が付きっきりで面倒を見ていた。
私は学校から帰ってくると、外まで聞こえてくる姉の泣き声や、母の泣きながら怒鳴る声が家の外まで響く自宅を見て、
「帰りたくないなぁ……」
と何度も思ったことがある。
母が姉の世話をしている間、帰宅した私はすぐに、溜まった洗濯物を畳んだり、食器を洗ったり、食事の用意をしたりしていた。
私は頭が悪かった分、小さい頃から母の手伝いをして、可愛がってもらえるように必死で家事をしていた。
食事が終わると、
みんなが見たいテレビを見ている中、
私は食器を洗い、風呂に入り、自室で宿題をし、宿題を終えてから就寝までの読書をする時間が、唯一の贅沢な時間だった。
高校に入っても人間関係に悩み、母に打ち明けると、イライラしたように
「七菜子が悪いんでしょ?」
とめんどくさそうに答えていた。
そう、母には娘が3人いるが、姉と妹のことで頭がいっぱいの母は、私が娘であるということを忘れているのだ。
仮に覚えていたとしても、
「七菜子は自分で何とかするから大丈夫。」
という感覚があるのだろう。
一番頭も顔も要領も悪い私に対して、ここまで思えるのは不思議でしょうがない。
こんな出来損ないの私は、専門学校を卒業し、就職することが出来た。
散々私を馬鹿にしてきた姉には出来なかった就職が、私には出来た。
親は喜んでいて、親戚にも自慢げに話していた。
私は、両親が私のことを自慢げに話すのを初めて見たので、嬉しかった気持ちと、奇妙な気持ちと、姉に対する優越感があった。
姉は私から母との時間を奪っただけではなく、
親戚の前で私をバカ扱いしたり、
私が少しでも誉められると、
「全然七菜子そんなことないから!!」
と言って、私の自信まで奪っていたので、正直就職が決まったときの無職の姉に対しては、いいきみだった。
ちなみに姉は、自分の箸がテーブルに出ていなかったら、
「何であたしの箸がないの?」
と、私に自分の箸を持ってこさせるくらい、私をバカにしたり、
「バカ(七菜子)の言うことは信じない」
と言いたげに、逐一私の発言を否定し、私をバカ扱いだけでなく、嘘つき扱いしていた。
なので姉は未だに私に対して、真っ向から否定する癖がついている。
姉は私よりもずっと母から愛されているのに、
私に対してこんなに当たりが強いのが不思議でしょうがなかったが、
今思うと、父から散々罵倒されて育った姉は、私に八つ当たりをしていたのだと思う。
(だからといって、私に八つ当たりをしていい理由にはならない。)