結局、妹には写真を撮られたことを話せずに、翌朝を迎えた。








その日は母が父を定期検診に病院に連れて行く日だったので、私は別宅に住んでいる姉の家に来ていた。







父は何かあると、娘の私たちに






「お父さんとお母さんは先に死ぬんだぞ!!」






と追い詰めるが、父は母がいなければ、診察券のある場所や、飲む薬も分からない。








全部母が用意しているからだ。








私は姉の家に着くなり、涙が止まらず、父に言われたことを話した。






姉「また、お父さんが余計なこと言ったんでしょ?」






と、呆れた表情をしていた。








私が泣きながら姉に話をしていると、生後数ヶ月の姪っ子が私の異変に気づき、ずっと手を握ってくれていた。








姉「てゆーか腫れ物扱いって何?
それに子育て失敗したって言うけどさ、お父さんに育てられた記憶なくない?
お母さんのワンオペ育児だったじゃん!!
子育てしたお母さんに失礼じゃない?」






私「あとは『ナギ(姪っ子)はみんなに「可愛い可愛い」って育てられてて、それでいいのか?』とか言われたよ」






姉「何でナギの話になるの~?」






と、妹とは違い、たんたんと父を批判していた。








姉は父のせいでパニック障害になり、一時は記憶が赤ちゃんのようになってしまい、高校生の私と妹を見て、







「知らないお姉ちゃんがいる!!」







と泣いて怖がることもあった。








今はそんな姉も結婚し、母になり、赤ちゃんより手のかかる私の話を聞くようになった。








前日と同様、姉にも事件の詳細を隠すことが辛くなっていた。







これは確実に私の都合だが、詳細を言わないままでいると、"いかに私が辛い思いをした"上で、父に追い詰められたか分かってもらいにくいからだ。









結局悩んだ挙げ句、事件の詳細を言わずに姉の家を後にした。








母が迎えに来てくれた車の中で








「あたしやっぱりイフ(姉)とキュウ(妹)に写真撮られたこと話していい?お父さんにここまで追い詰められて、隠してるの辛い………」








と言った。







意外にも母は







「うん、いいよ。」







と言った。








父が待っている自宅に帰るのが非常に嫌だった。









自宅に近づくに連れて、心臓が飛び出そうなほどバクバクしていた。









家に着くと、何も話さない私に父がニヤけながら、







「七菜子は体調悪いのか?」








と何事もなかったかのように話しかけてきた。








私はあまりの恐怖から、その場で泣き出してしまった。









この日から、しばらくの間、私は父とまともに口を利かなくなった。









次に話しかけられる時は、また大声で罵倒されるときである。