山うどの山出て市の日傘かな 一茶
江戸の飴売りは他の行商の人々と違い、
異様とも思える奇抜な扮装で
人々の関心を引き話題を集めて
売る人たちがいました。
一方では神社の仏閣境内等で
露天に店を出し商う人たちもいました。
『縁日の飴屋のれんの縁の下』(しげり柳)
『サァ雨と傘をたたんで飴屋迯ケ』(江戸古川柳)
『御縁日飴屋を拝むにわか雨』(柳多留109)
露天の店では日和でも
大きな派手な日傘をさしていました。
今様職人尽歌合(鍬形恵斎画 文政8年)の原画の上に、
『あめは一流太白様、わかさまがたの腹安に候ぞ』
とあります。
太白は上等の白米を練り固めた白い飴の意味。
飴屋の右に照明の「カンテラ」が燃えています。
傘の柄に天秤棒がくくりつけて足してあります。
(江戸商売図絵 三谷一馬 立風書房から
引用させて頂きました)
黄色の虎縞の頭巾を被って
口に飴を入れる紙袋をくわえて箸を持っています。
台には鉈のような包丁が置いてあり、
赤い箱の中には小さく刻んだ飴が入っています。
かなり衛生面に気を使っています。
文政八年にすでに夜店の照明に
カンテラを使用しておりいます。
戦後しばらく続いた縁日の夜店の
アセチレン灯の炎、匂いが思い出されます。
女の人も飴を売り歩いていました。
近世商売尽狂歌合(豊芥子 嘉永5年 1852年)に
『女飴売 一人にて鉦をならし、
越後節を唄ひて歩行あり。
また三四人連れにてあるくもあり』 とあります。
童謡妙々車(二代歌川国貞 慶応二年の図会には
女の人が子供を背負い片膝つきで
片手に太鼓を持っています。
その横に飯台のような桶に足の着いた
物が置かれており飴売り専用のものです。
藁束には小さな奴凧が描かれています。
『吹ヶば飛ぶくらし飴屋の半紙凧』(江戸古川柳)
飴を買ったひとに与える景品です。