人間の水は井戸替星は空 宗因
近頃は水への関心が大分高まってきました。
都市への人口の集中化と
水を必要とする文化水準の高さが
消費量を増し設備投資に経費がかかるように
なったからです。
さては空梅雨になりますと、
都市機能がまたたくまにマヒして、
神頼みにすがる風景が
あちこちに見られるようになります。
その上に水を都市に集め他へ排水するという、
矛盾したふたつの節理が問題化して
公害を引き起こします。
その昔、巨大化した江戸の街も同じような
問題が起きています。
埋立地が多く水には苦労して
上水道を作ったり、掘り抜き井戸の技術も
新しく開発されます。
その費用は昔は二百両(塵塚談)もしたという事で
大店でもおいそれと掘る分けにはいきません。
その後上方より新しい技術が取り入れられ
天明・寛政(1789年~1801年)の頃は、
三両二分で出来たとも
二十両ほどかかったとも言われます。
裏長屋に住む人たちは土地が悪く
恩恵を受ける事も出来なく
多くは井戸を利用しましたが
管理も大変だったようです。
年に一度七夕の日かそれに近い日に
長屋総出で一日中かかって
井戸浚い(井戸替)をしたそうです。
長屋では井戸がひとつしかありませんので
お上さんたちは仕事の合間に
井戸端会議に花を咲かせたようです。
時には煩わしい事も多かった事と思いますが
少なくとも周りの人々の動向は分かりまた。
今は団地の中の水道の蛇口の世界です。
誰にも干渉されない世界ですが、
ストレスはたまらないのでしょうか。
便利さの中にある虚しさと共に、
人々は昔の清流の眩しさ、小川のせせらぎを忘れ、
消毒されたカルキの匂いを感じる今の生活が
文化の証しなのでしょうか。