霜害を恐れ八十八夜待つ  虚子


『夏も近づく八十八夜

野にも山にも若葉がしげる

あれに見えるは茶摘みぢゃないか

あかねたすきに菅の笠』


(作詞。作曲者不詳 尋常小学校唱歌・第三学年用

明治45年 1912年)


八十八夜前後に茶を摘み、

新茶が出回るようになったのは

いつの頃かはっきりしませんが


小学校の低学年で歌われていますから

茶の生産者はこの頃を

茶摘みの目処にしていたようです。


八十八夜は立春から数えて八十八目で、

現行歴では五月二日か三日にあたります。

「八十八夜の忘れ霜」の諺もあります。


生産者にとって最も恐れる晩霜ですが、

その反面この頃からあまり見られなくなります。


天候も安定するといわれ、

農作物の種蒔きの適期とされます。


八十八夜に各地で豊作を願う行事も多くあります。

茶どころ静岡でも茶日待ちが各地に伝わっています。

豊作を願うというよりは晩霜のない事を願うもので、

特殊な行事です。


茶の最上級は玉露ですが

誕生したのは天保六年(1835年)

江戸日本橋の茶問屋山本山の六代目山本嘉兵衛が、

宇治山城へ碾茶(テンチャ)の見学に行った折、


自ら製法を学び試作したところ団子のように丸くなり

失敗作とがっかりして味を見たところ

見かけによらず美味しく甘露の如しと喜んだといいます。


江戸へ持ち帰り「玉の露」の名で

売り出したといわれます。


最初は諸大名に贈り名を高めたといいますから

PRとネーミングの勝利です。


その後試行錯誤を重ね

今日の玉露を完成しました。


茶色という言葉がいつ頃から使われたのか

分かりませんが、

本来の茶は茶色そのものです。


「玉の露」は緑色で色鮮やで香りも強く

好まれていったと思われます。


現在の玉露は茶畑に覆いをかける事によって

直射日光を遮り、

渋味のタンニンを減らし葉が薄くなるため

碾茶の場合乾燥が早くなり

玉露の葉が針のように仕上がるといいます。


覆被をかける事は小堀遠州の発案といわれます。