一とせの茶を摘みにけり父と母  蕪村


茶の原産地は中国雲南地方、

あるいはヒマラヤ山系、

またはインドアッサム地方ともいわれ

はっきりしません。


その上に日本に自生していたという説もあります。


喫茶の風習の始まりは中国が定説で、

三国志(起源前後)に呉の孫皓(ソンコウ)が、

下戸の韋曜(イヨウ)に茶筅を用意して

酒の代わりに飲ませたという話もあります。


中国の茶祖といわれる陸羽が

茶経を書いたのが七八〇年で、

『茶の飲みたる、神農氏に発し…』

とあり、茶を噛んで毒を消したと記しています。


日本ではそれより早く奥儀抄(天平元年 729年)に、

聖武天皇が百僧を招いて

大般若経を購読させた折に、

茶(団茶)を振舞っています。


この時の茶が日本のものか

中国(唐)のものかはっきりしません。


喫茶の風習は遣隋使か遣唐使のいずれかが、

日本へ持ち込んだと考えた方が

分かりやすいようです。


茶の栽培は嵯峨天皇が弘仁六年(815年)に

諸国に命じており、

近江、丹波、播磨等で茶を植えたとあります。


日本後記(承和7年 840年)によれば、

天皇も僧永徳のたてた茶を飲んだといわれ

この時は煎茶でないかといわれています。


茶は奈良、平安の初期までは

茶経とともに持て囃されますが、

その後は空白の時代をむかえます。


日本の茶祖といわれるのは

栄西(1141年~1215年)で、

二回目の帰国の折に、

天台の新章琉三十余部六十巻とともに

持ちかえったといわれます。


建久二年(1191年)の事で

筑前の背振山に植えたと伝えられています。


この地に数年止まり、

聖福寺を始めいくつかの寺を建て

その周りに植えていったといわれます。


やがて京都に上り建久十年(1199年)に

鎌倉へ最初の下向で寿福寺を建て、

建仁二年(1202年)には栄西のために

建仁寺の造営が始まります。


建暦元年(1214年)に、

喫茶養生記を書き上げます。