にんにくを噛みつつ粥の熱き吸ふ 素逝
大蒜は中央アジアが原産で、
西暦紀元前三千年頃すでにエジプトで
栽培し食用されていました。
旧約聖書(民数11・5)に、
モーゼに導かれてエジプトを去るイスラエル人に、
『憶い出るに我らエジプトにありし時は、
魚、黄瓜、水瓜、韮、青韮など心のまま食えり』
と記されています。
中国では漢の時代張騫が西域より
持ちかえったといわれ、
胡瓜に胡(エビス)の瓜の字をあてたように、
胡の蒜でコサン、あるいは葫と記されています。
日本へもかなり早い時期に伝わっており、
日本書紀(養老4年 720年)巻第七景行天皇の項に、
『山の神、王を苦びしむとして、
白き鹿と化りて王の前に立つ。
王異びたまひて、一箇蒜を以て白き鹿に弾けつ』
とあり、日本武尊が蒜(ヒル)を投げつけて、
山の神の化身白鹿を殺したと記されています。
この時の蒜はニンニクだと伝えられています。
同じ日本書紀巻十応神天皇の項にある、
『いざ吾君 野に蒜摘みに 蒜摘みに』
はノビルという事です。
万葉集(759年以前に編纂)巻十六に、
『醤酢に蒜搗きて合てて鯛願ふ
吾にな見えぞ水葱の羹』(3821)
もノビルという事であれば、
一箇蒜もはたしてニンニクか疑しいところもあります。
大蒜は料理を美味しく引き立てますが、
強壮剤としても良く使われます。
その他に昔は風邪をk^引くと
よく大蒜を焼いて食べさせられたものです。
平安の頃も解熱に使われていました。
源氏物語(紫式部 平安中期 長保3年以後 1001年)
箒木の項に、
『風通重きにたへかねて、
極熱の草薬を服して、いと、くさきによりなむ、
ゑ対面給はらぬ』 と書かれています。
草薬は小蒜(ニラ)、大蒜(ニンニク)等を
乾燥させたもので煎じ薬です。