韮剪って酒借りに行く隣かな 子規
韮は中国西部が原産地で、
紀元前すでに栽培されていたといいます。
日本への渡来は古く、
古事記(和銅5年 712年)中巻神武天皇の項に、
『みつみつし 久米の子等が
粟生には 賀美良(カミラ ・韮)一茎
それが茎(モト)その芽繋ぎて
撃ちてし止まん』
と記載されています。
久米のもの達が作っている粟畑に、
臭気の強い韮が一本生えている。
その根と芽を一緒に引き抜いてしまえと。
と命じています。
戦争を体験した人には、
『撃ちてし止まん』は忘れる事の出来ない
悲しい響きをもった言葉です。
農業全書(宮崎安定 元禄元禄10年 1697年)に、
『陽起草とて、人を補い風温まる性のよき葉なり』
とあり、当時も韮の持つ効用は
知られていたようですが、
匂いが強いためかあまり普及しなかったようです。
大衆野菜としてスーパーに並ぶようになったのは
中国料理が家庭にとりいれられた近年の事です
農業全書は陽起草の名前の他に、
『また一度うへおけば、
幾年も其ままをき付きにしてさかゆる故
怠り無生なるものゆべき物とて、懶人草とも云うなり』
とあります。
懶(ラン)はおこたる、なまけもの、ものうい等の意で、
なもけものでも作れる野菜としています。
事実一度植えておけば
二、三年はそのまま増える多年草で、
一年に何回も刈り取れる事が出来るそうです。
中陵漫録(佐藤成裕 文政9年 1826年)に、
『水戸にて、都鄙の差別なく、
十二月八日、二月八日の夕、
豆腐を三部四方に切りて、
葱を同じく串に貫きて、
門戸の両傍に挟んで邪気を却くと言ふ。
これをにら豆腐と言ふ。
昔はにら許りを挟みたり』 とあります。
匂いの強いところから食用としてだけでなく、
祭祀の行事等にも使われていたようです。