馬鹿貝の逃げも得ずして掘られけり  鬼城


馬鹿貝、なんともひどい名前を付けたものです。

干潮時に貝の口を開けて長い舌(足)を

ダラリと出しているので、

馬鹿が舌を出している姿に見立てたとする説。


これが一番知られている説で、

辞典等はこの説を取り上げています。


その他に、塩の変化に敏感で、

住む場所を変えるので場替貝(バカエガイ)。


貝柱は美味しいが肉の味が劣るので、

親に似ぬ茗荷の子で馬鹿とする説等、

諸説珍説があります。


『馬鹿のむきみやほんとうの升でうり』(柳多留128)


『私は行徳ばかのむきみうり』(柳多留137)


江戸の頃すでに馬鹿貝の名で

呼ばれていたようですが、

和漢三才図会(寺島良安 正徳2年 1712年)では、

オオノガイと記載されています。


『ハシラをとりて、これを食す。

その形、指の頭の如くにて、

白色あるひは微赤、味は甘美なり』


ハシラは貝柱(アラレ)のことで、江戸前の天麩羅には欠かせません。


貝柱・芝海老・三つ葉のかき揚げは絶品です。


守貞漫稿(喜多川守貞 嘉永6年 1853年)五に、

『むきみは、蛤、あさり、ばか、さるぼう等の

介殻を去りたりをいう』


とあり、江戸の頃の棒手振りは、

ハシラというよりはむき身を商っていたようです。


むき身は木の小箱かプラスティックの小箱に、

十枚二十枚と入れられて

昔は青柳の名で店頭に並んでいました。


腸炎ビブリオ菌の付きやすい貝ですので

生食で出す事は少なくなりました。


青柳の語源は、

その昔、上総国青柳村で多くとれた所から

この名がついたといわれています。