海鼠腸をすするや絹をすするごと  尺山子


海鼠腸は海鼠の腸で作った塩辛です。


あのグロテクスな海鼠を食べた

先人の勇気には敬服しますが、

その上に、腸まで食べようと

考えるのですから恐れ入ります。


海鼠は日本人の味覚に合い

古くから食べられていました。


海鼠腸も延喜式(延喜5年 905年)に

記載されており、

宮中では海鼠はオヌメリ、

海鼠腸は人紅梅の名で呼ばれていたそうです。


海鼠腸の語源については、

安西随筆(伊勢貞丈 天明2年 1748年)に、

『和名抄に、崔禹錫が「食経」に云はく、

海鼠似蛭而大物也(和名古)とあり、

コと云府が本名なり』


栗氏千中譜(栗本瑞見 文化8年 1811年)にも、

『コト単称スルコトハ葱ヲキト単称スルニ同ジ』

とあり、海鼠の古名をコとする説を

取り入れています。


その辺りからコの腸としたようです。


海鼠の卵巣を干したものをコノコ、

またはクチコといい、

海鼠腸とともに高価でなかなか口にする

機会はありません。


江戸の頃天下の三珍として、

越前の雲丹・長崎野母の唐墨とともに、

尾張の海鼠腸が知られていました。


江戸の笑い話集鹿の子餅(明和9年 1772年)海鼠腸に、

『御肴に、今出すこのわた、

料理人風味するとて、ずるずるのむところ、


「やれ、今お座敷へ出すのをみんなにして済む」

と側からいわれ、引き出しながら、

「こいつは出這いりのうまいやつだ』


とあり、料理人が味見にかこつけて

食べたところを見つかり、

再び口から出し噛み切れない面白さを

えがいていますが、

食べやすいように包丁して出す事が決まりです。


高価なので量を増やすと取られがちですが、

小鉢に海鼠腸を盛り、

真ん中に鶉の卵を落しますと

味もまろやかになり見た目もきれいです。