大食のむかしがたりや鰤の前  太祗


鰤は鱸、鯔と並んで出世魚といわれています。

いずれも成長に従って

名前が変わっていくことから来ています。


関東では、ワカシ・イナダ・ワラサ・ブリ。

関西では、ツバス・ハマチ・メジロ・ブリ。

最近では関東でも、イナダと呼ばないで、

ハマチの方が通りやすいようです。


多分に養殖の盛んな四国、九州の

影響と思われます。


精選版日本国語大辞典・小学館では、

『近年では一般に養殖ブリうをハマチと呼ぶ』

と定義しています。


江戸の頃すでに出世魚と呼ばれていました。

和漢三才図会(寺島良安 正徳2年 1712年)に、

『六月、その小なるもの五六寸をツバスと名づく

仲冬、長じて三四尺、最大なるもの


五六尺なるもの、鰤と名づく。

この魚、小より老するに至りて、時に名を改む。』


日本山海名産図会(木村孔恭 宝暦13年 1763年)にも、

『小なるをワカナコ・ツバス・イナダ・

メジロ・フクラキ・ハマチ、』 とあります。


鰤といえば富山がよく知られていますが、

江戸時代は漁法方法が違ったためでしょうか、

丹後の産を第一としています。


本朝食鑑(人見必大 元禄10年 1697年)に、

『音、師。無利と訓ず。…

今、丹後の産をもって上品となす。

越中の産、これに次ぐ』


日本山海名産図会にも、

『丹後与謝の海に捕る物を上品とす。

是は此海門にイネと云所ありて、

椎の木甚だ多く其実海に入って魚の餌とす。

故に美味なりといえり』 と記載されています。


出世魚の鰤として富山辺りでは今でも、

祝いや贈答品として使用されているとの事ですが、

江戸時代すでに風習として行われていたようです。


和漢三才図会に、

『もって出世昇進のもとなし、これを大魚と称す。

貴賤相饋りて、歳末の喜祝となす』


日本山海名産図会にも、

『九州にては大魚とも称するゆえに、

年始の祝詞に脅える物ならし』


とありますが、江戸で行われていたかは不明で

川柳等では見当たらないようです。


鰤の語源については、

脂の多い魚の略転説、(日本釈名、名言通)

アブリ(炙)の上略、

あぶって食べるところから、(和句解、和訓栞)

年を経た意、経(フリ)の濁音化したもの、(草蘆漫筆)

中には、体が大きいからフクレリの説もあります。