とやかくとはかどるらしや小豆引 立子
五穀については諸説ありますが、
小豆は米・麦・粟・大豆・稗・黍等と並んで
重要な穀物です。
古事記では、
大気都比売神(オホゲツヒメノカミ)の鼻より生まれ、
日本書紀では、
保食神(ウケモチノカミ)の陰より生まれたとあります。
いずれも食べ物の神様から生まれた
大切な穀物です。
二柱は重要な神様であるにもかかわらず
古事記では速須佐之男命(ハヤスサノヲノミコト)に、
日本書紀では月夜見尊(ツキヨミノミコト)に、、
穢らわしいことだとそれぞれ殺されてしまいます。
原産地は日本を含む極東アジアといわれ、
登呂遺跡等からも出土しており
人々とかかわりも長いものです。
現在日本、韓国、ブータン等
限られた地域に定着しており、
アジアにだけ受け入れられた
数少ない豆のひとつです。
大豆に対して小さな豆で
小豆を当てとと思われますが、
なぜアズキと詠むのかは不明です。
万葉集巻第十一に、
『面影の忘れてあらばあづきなく
男じものや恋つつ居らむ』(2580)
とあり、小豆嶋の字をあてていますので、
この頃すでにアズキと詠まれていた事になります。
和名類聚抄(承平年間 931年~938年)にも、
『赤小豆和名阿加安豆木』 と記されています。
あづきなくは自分の力ではどうする事も出来ない事で、
あじきないの語源のようです。
語源は、アカ(赤)ツブ(粒)キ(草木)説、
アジ(味)ケ(食)説等があります。
赤い色に神秘さを感じたのか、
古来より魔除けや薬用に利用され、
平安の頃より小豆粥を炊き
神事や儀式に使われました。
祝いとしては室町辺りからで、
赤飯を炊く風習も生まれます。
萩原随筆によれば、
京では吉事に白強飯を炊き、
凶事には赤飯を用いるのが
民間の風習とあります。
江戸では四月より八月迄が白強飯。
九月より三月までが赤飯と続くとありますが
確かなことは分かりません。
『こわ飯は黒子のあるはあわれなり』(万句合 明和3年)
『かわ飯に目玉を入れて涙ぐみ』(柳多留50)
江戸では明和三年(1766年)の頃
すでに仏事には白強飯を食べていた事になります。