生涯の居を得て熱き根深汁  浅芳


葱の語源は言海によれば、

『根 本名葱(キ)、一音ナレバ一文字ノ異名モアリ、

根ヲ賞スルニ因テ根(キ)トイフ』

とあり、今日ではこれが定説となっています。


白葱を好むのは関東で、

市場に出回る時も葉は短く切られています。


根ギ(葱)の語源が正しいとすれば

江戸言葉という事になります。


『ねぎ白く洗い上げたる寒き哉』(芭蕉)

どこでよまれた句でしょうか。


一話一言(太田南畝 発行年代不詳)巻十七に、

『下野国栃木村しろころといふ根葱あり。

岩槻根葱の如く白み多く味美なり。

上方、西国ともに根葱の白みなく』 とあります。


浪花の風(久須美祐馬 安政3年 1856年)によれば、

『葱は宜し、江戸産よりいづれも柔らかなる方なり。

江戸の如く強きものもあることなし。

殊に霜を経しものは別して柔らかなり』


とあり、上方では江戸の根深の固さは

いただけないと記しています。


京を代表するのは九条葱です。

雍州府志(1984年)で、京東寺近くの、

『九条に葱の佳品あり』

と絶賛しています。


九条葱の歴史は古く和銅四年(711年)に、

浪速から導入したと伝えられています。


白葱を代表するひとつに千住葱があります。

大阪城の落人が関西から持参して、

江戸砂町に付近に広めたとされますが、

葱の種を懐に人目を忍んで

江戸に辿りついたのでしょうか。


『角文字は牛葱もじは鹿の鍋』(柳多留114)


『ねぎばかり喰ふも一あしちがい也』(万句合 宝暦11年)


江戸の頃も暖が恋しい季節になりますと、

鍋が好まれ葱が入ります。

かたい葱も柔らかく火が通り、

出汁とよく合いほのかな甘さが食欲をさそいます。


『臆病は葱ばかり食ふ雪の夜』(柳多留82)

河豚鍋にも使われました。


『刻み葱湯桶の滝にうずを巻き』(柳多留82)

細葱は今日と同じで薬味としても使用しました。