林檎剥く指も曠野の夕焼けを 楸邨
平成六年は果物も自由化の波が押し寄せ、
派手な宣伝のもとにアメリカの林檎が
日本に上陸した年です。
どのスーパーも山と積まれ、
ピーマンを思わせる風貌と、
ワックスのきいた真っ赤な林檎に、
消費者も驚きました。
生産者も戦々恐々としましたが
まもなく店頭から姿を消しました。
日本の林檎を見慣れた人々には
アメリカの林檎は馴染めませんでしたが、
日本の林檎のルーツはすべてアメリカから
導入された林檎に始まります。
明治になり近代農業をすすめる勧業寮
(太政官政府時代の内務省に属し現在の農水省に近い)
が外国から新しい野菜や果物の苗木や種を輸入し、
その中に林檎が百六種あり、
いずれもフランスから導入されています。
その他に北海道開拓に携わった人々が
アメリカから導入された種苗が七十五種あり、
この中から北海道の気候風土にあった
アメリカ林檎が今日のもととなります。
今産地として知られる青森、長野でなく、
日本の林檎は北海道から始まります。
ゴールデン・デリシャス…最高級品として
世界でもっとも生産量の多い林檎です。
日本のデリシャスは大正十二年に青森県苹果試験場が、
アメリカより種苗を取り寄せてます。
やや酸味が強いが香りが素晴らしく、
甘味とのバランスもよく果汁も多く含んでいます。
アメリカ・ヨーロッパ産に比べて
三百グラムにもなる大玉林檎です。
アメリカ・ウエストバージニア州のムリウス園で、
1890年に偶然実生より見つかったといわれ、
1810年に作りだされたといいます。
スターキング・デリシャス…ひと頃は国内生産の
三分の一をしめた程のスターでしたが、
最近は新しい品種に押され生産量は極端に落ちています。
日本へは昭和四年に青森県苹果試験場に導入されました。
原産地はニュージャージー州で、
デリシャスの枝変わりとして
1921年にに発見されたもので、
当時は一本5000ドルしたといわれる
林檎界のスターでした。
スターの名は苗木商のスターク商会に
由来するといわれています。