稲かけて天の香久山かくれけり 風生
稲はアメリカ・アフリカでも栽培されており
世界の主要穀物の一つです。
特にアジアでは主食として米の占める位置は高いものです。
その中で、食用米はジャポニカとインディカに二分されるように、
同じアジア民族でも食用方法は異なります。
ヨーロッパ・アフリカでも、
日本人の好む熱々に炊き上げたイメージは
そこにはありません。
日本では輸入米を外米として区別しており、
そこには日本の米以外は米に非ずといった
不遜とも思える民族意識が見え隠れしています。
これほど国により好みの分かれるのも
珍しい食習慣です。
稲の起源については二つの説があります。
中国説ではで紀元前二千八百年頃に
皇帝神農によって制定された儀式に、
稲の記載があるところからこの頃とする説。
インド説は古代インドの讃歌の中に
紀元前三千年頃と歌われているところからです。
いずれにしてもこの頃すでに栽培されていたと
考えられます。
日本で稲作の始まったのは弥生時代とされていますが、
縄文後期の遺跡からも出土していますので、
かなりう早い時期に渡来していると思われます。
日本の稲作が書物に見えるのが日本の書物でなく、
残念ながら中国の魏志倭人伝です。
対馬国の記載のなかで、
『千余戸ある。良田がない。海(産)物を食べて自活している。
船にのり、南北に(出て)市糴(米をかうこと)をしている』
(最新邪馬台国への道 安本美典訳 より引用させていただきました)
と記載があり、この頃すでに米を食べ、、
稲作は行われていたようです。
米の炊き方は
現在のように釜の中へ米と水を一緒に入れて炊いたのは
大分後になってからです。
『竈には 火気ふき立てず
甑には 蜘蛛の巣懸きて
飯炊く事も忘れて』(万葉集巻5 892)
山上億良の貧窮問答も歌の一首にあるように、
甑に入れて蒸す方法で、
現在の赤飯の炊き方に近いようです。
奈良時代には中国からの渡来したものを
大唐米といい、白米と赤米があり、
赤米の占める位置はかなり高かったようです。