松茸の山かきわくる匂ひかな  支考


日本人がいつの時代から

松茸の香りを愛でたのでしょうか。


万葉集巻第十の芳(タケ)を詠む歌に、

『高松のこの峯も狭に笠立てて

孕みて盛たる秋の香りのよさ』(2233)

を松茸とする説もありますが弱いようです。


万葉人が優雅に香りを楽しむ茸とは夢広がりますが、

『香り松茸味しめじ』は後世のことで、

残念ながら秋の香りが松茸という確証はありません。


松茸が話題になり珍重されるようになったのは

どうやら平安の中頃公家の世界と思われます。


『あし曳の山のした水ぬれにけり

その火まつたけころもあぶらし』


拾遺和歌集(寛弘2年~6年 1005年~1009年)に

二首詠まれているうちの一首です。


元永元年(1118年)九月二十四日には、

白河天皇が宇治平等院の行幸の折、

寒汁、松茸と熱汁しめじを召し上がったとありますが

残念ながら調理方法は分かっていません。


この頃になると公家の日記にも

松茸が贈答に使われていた事が記されています。


公家の吉田朝臣などは、

自分の持山に松茸が生えているが内密にしていると

自慢げに細川幽斎に話し、

『松茸の生ゆるをかくすよし田殿

わたくしものと人やいふらん』

とたしなまれている始末です。


梁塵秘抄(嘉応元年 1169年)巻第二には、

『聖の好むもの、比良の山のをこそ尋むなれ、

弟子遣て松茸、平茸。滑茸~』

とあり、比叡の僧が松茸を好んだことが記されています。


今昔物語第二十九には、

『「何ぞ」と思テ聞キ手見バ松茸ヲ集メル如ニシテ

男ノマラ九ツアリ』

とあり、宇治拾遺物語にも似た話が出ています。


徒然草(元徳2年 1330年)第百十八段にも、

『松茸などは、御湯殿の上に懸りたるも苦しからず』


とあり、あのようなものを元の姿に置いてあるのは、

しっかりした人物がいないからだとたしなめています。


松茸を男性のシンボルにたとえる事も、

次第にエスカレートして

やがて江戸川柳で花開きます。