ややありて松茸もっていけといふ  志津子


日本人は魚を好む民族として知られていますが、

茸を愛することでも引けを取りません。


食用される品種もかなりのもので多種多様にわたります。

その中でも香りを愛でる嗜好は他の民族には

想像もつかないことと思われます。


『香り松茸味しめじ』の生まれる由縁です。


松茸は日本各地の主に赤松林に発生しますので、

赤松の多い西日本が松茸と人々の出会いのルーツかと

思われます。


及瓜漫筆(原田光風 安政6年 1850年)に、

『江戸にて松茸をよき料理にもつかひて貴けれども、

京都にては盛の頃には値至って賤しいければ、

いかなる見世にても調味して商ふことなし』 とあります。


この頃は京都周辺と摂州(大阪・兵庫の一部)が主な産地で、

盛りを過ぎた松茸は食べ物屋では

客に出さないと記しています。


江戸では産地も遠く庶民には無縁かといえばそうでもなく、

守貞漫稿(喜多川守貞 嘉永6年 1853年)に、

『山樵直にこれを売る。

或いは八百屋商人もこれを売る。

江戸は松茸甲州より出るのみ。

稀なる故に此商人これなし』


季節になると、天秤棒に竹で編んだ角行李に入れて、

軒々を売り歩いたといいます。


初物好きの江戸っ子には受けましたが、

勤番の武士には手も出なかったようで、

江戸自慢(晩米堂紀遊蝠 年代不詳)に、

『松茸は至極少なく、価珠玉を買ふに均し』


とあり、現在の単身赴任のサラリーマンと

懐具合はあまり変わらないようです。


江戸小咄近目貫(安永2年 1773年)に、

『娘格子より顔を出し小声で「コレ松茸よ」

松茸うりのすいりょうには、

「この娘ないせうで買ふ」と思ひ』

おなじ小声で{壱つ三十二文でござります」といへば、

娘「そなたも風をひいているの」』 とあり、


西鶴織留(井原西鶴 元禄7年 1696年)巻一にも、

『初松茸壱斤四匁五分する時調えて』

とありますからかなりの高値です。