氷菓融けてこの時我ら男女なり  楸邨


アイスクリームはイタリア生まれのヨーロッパ育ちです。

1550年頃イタリアで考案され、

カトリーヌ・ド・メディシス王妃により

フランスのルイ王家に伝えられたといわれます。


製法は明らかではありませんが

フランスに渡り牛乳や卵を加えて

今日の加工方法に近いものになったといわれます。


最初に売り出したのはパリでカフェを開いていた

コントローといわれますが捗々しくなかったようで、

あまり話題にもならなかったようです。


再度登場するのが十八世紀のイギリスで、

チャールズ一世の晩餐会でデザートの

出されて喜ばれたといいますが

これもごく限られた人々です。


普及したのはアメリカに渡ってからで、

一七八六年には新聞の広告に出るほどまでに

なっています。


日本で最初に製造を始めたのは

横浜の町田分造といわれます。


アイスクリンの名で明治二年六月に売り出しています。

日本人には馴染みがなく外国人が

たまに見える程度だったといいます。


当然商売としては立ち行かなくなりますが、

翌明治三年四月に伊勢神宮の大祭に

再び売り出してこの時は大評判だったといいます。


値段は二分といわれ大きさは不明ですが

かなりの高値です。


明治十九年に風月堂の新聞広告に、

『一、一コート金五十銭ヨリ

一、一コップ金十銭、

追日季節に向ひ候聞例年の通り売り出し申し候』

とあり当時としてはかなりなもので、

とても庶民の手の届くものでありません。


日本人で最初に食べたのは誰か明らかではありませんが、

記録によれば万延元年(1860年)に

アメリカに渡った幕府の使節の一行で、

『又珍しきものあり、氷を色々に染め、

物の形を作りこれを出す。

味至って甘く、口中に入るに忽ち解けて美味なり。

是をアイスクリンと云う』 と記しています。


色々な形にくりぬいた小さな木の枠の中に、

割り箸を入れて欠氷を入れて固め

シロップをかけて子供の頃食べた

氷菓子にどこか似ているような気もします。


日本でも最近は目覚ましい普及で種類も多く、

今は冬でも食べられていますが

アイスクリームは規格が決まっています。


アイスクリーム…乳固形分15パーセント以上、

           うち乳脂肪8パーセント以上、

           細菌数10万以下、


アイスミルク…  乳固形分10パーセント以上

           うち乳脂肪3パーセント以上

           細菌数5万以下、


ラクトアイス…  乳固形分3パーセント以上

           細菌数5万以下


もちろん大腸菌は陰性と成分規格で決められています。