杏あまさうな人はねむそうな 犀星
杏は中国華北一帯が原産地といわれ、
紀元前二千年から三千年の頃すでに
果実として食べられていたといいます。
紀元前百年頃にシルクロードを通り、
アルメニアを経てギリシャに伝わったといわれます。
アルメニアに渡った杏は気候風土に適し、
アプリコットとして東アジア系に対して
ヨーロッパの杏が生まれます。
ヨーロッパの杏は甘くて生食にむきますが、
東アジア系、特に日本の杏は木で完熟させないと、
甘さがのらず美味しくないようです。
その上に痛みやすいので、
出荷する時は早取りで本来の味は楽しめません。
ヨーロッパでは生食だけではさばききれず、
ジャムや缶詰、乾果等の製品に仕上げます。
中国でも乾果として食用しますが、
種の仁を取り出し杏仁として食品だけでなく
薬用として利用されます。
ヨーロッパでも去痰剤として使われるいいますが、
種には青酸化合物が含まれているといいます。
本朝食鑑にも、
『杏 和名抄に 加良毛毛(カラモモ)
今は阿牟須(アンズ)と訓む』 とあり、
核仁(タネ)の項には、
『近世(チカゴロ)朝夕の膳供に杏仁を薦める者あり。
痰を去り、食を消化するという。
然れども多食すれば暗に降利に傷があろう』
と杏仁に毒があると記しています。
本草綱目でも毒を説いていますので
早くから知れれていたようです。
日本へ渡って来たのは明らかでありません。
仏教の伝来と同じで医薬品として僧が伝えたのか、
それ以前に稲作と同じように、
名もない人々が伝えたのか興味深いところです。
古今和歌集(延喜5年 905年)には杏は
すでに詠まれています。
『からもゝの花 ふかやぶ
あふからもものはなをこそかなしけ(れ
わかれんことをかねておもへば』(巻第十 429)
からももは杏の古名です。
『善光寺鐘のうなりや花一里』(芭蕉)
この句は杏の花とされています。
この頃杏はかなり栽培されていた事になります。
いつの時代か分かりませんし、
今も中国で使われているのか分かりませんが、
医師の別の名を杏林というのは中国神仙伝によれば、
董奉(トウホウ)という医師が貧しい人からは
治療代を受け取らず、
かわりに杏の花を植えさせて
後に立派な林になった故事によるといわれます。