枯れなんとせしぶだうの盛りかな 蕪村
葡萄は世界でもっとも生産量の多い果物で、
古代から愛用されており、
数多くの神話に描かれています。
ヨーロッパでは旧約聖書、ギリシャ神話、
日本では古事記、日本書記に登場し、
何れも重要な役割を果たしています。
古事記では、
イザナギノミコトが今は黄泉の国に住まわれる
イザナミノミコトを忘れる事が出来ず訪れますが
あまりの姿に驚き逃げ帰ります。
志許売(醜女・シコメ)に追われ逃げかえる時、
髪に着けていた黒い葛を取って投げ捨てると
たちまち山葡萄が生えたといわれます。
西アジアとカスピ海周辺、黒海沿岸、アメリカ大陸の
三地域が原産地といわれています。
日本へは中東アジアを経て中国へ入り、
渡来した葡萄の適地を求めて行基上人(養老2年 718年)が
東国を行脚したと伝えられています。
甲州葡萄は文治二年(1186年)になり、
雨宮勘解由が石尊宮の祭日の帰り、
八代郡岩崎村城の平自生した葡萄を発見し
自宅に持ち帰り植えた事に始まるといわれています。
建久三年(1192年)には十三本、
慶長六年(1601年)になり百六十四本、
正徳六年(1718年)には二十町歩までなったといわれますが、
遅々として進まなかったといいます。
一説には雨宮勘解由は中国から導入したといわれています。
甲州葡萄の今日の隆盛のきっかけは
武田信玄の侍医甲斐(永田)徳本といわれています。
彼は元和年間(1615年~24年)に雨宮家を訪れ
栽培方法を研究し、
葡萄栽培の基礎となる葡萄棚の確立と
挿し木による繁植方を指導したと伝えられています。
(さくもつ紳士録 青木恵一郎 中公新書から引用させていただきました)
『鬼灯にしやすとぶどう持って行く』(万句合 安永9年)
『鬼灯に禿ぶどうを貰っく』(柳多留58)
葡萄を鬼灯のように口の中で楽しむとありますから、
当時の葡萄は固く水分も少なく、
あまり美味しいものでなかったと思います。
語源はギリシャ語のbotrusが中国で
葡萄と音訳したものといわれます。