到来の鮨に蓼摘む妹が宿  虚子


『蓼食う虫も好き好き』という諺があります。

タデを知らなくても巷間一人歩きしている点で

珍しい諺です。


江戸でもかなり早い頃から使われていました。


『鳥肌にさはりて、人の聞をもかまはず、

(あの女は賃でもいや)

といはれては、身にこたえてかなしく、…

また蓼食うむし有りて、ふるき我におもひつきて』

(西鶴 好色一代女 貞亨3年 1746年)


『たでくふ虫もすきずきとは申すが、

あのやうな内儀にそふていらるる』(波形本狂言 縄綯)


貞明本・小早川本では、
『あのやうな内儀に添うていらるることでござる』

とのみ記載されていますので、
波形本は当時流行していた蓼食う虫を

書きたしたのかも知れません。


他にも、根無志具佐、毛吹草などに記されています。


出典は中国の魏都の賦にある、

『蓼虫ノ辛ヲ忘レテ習フ』とも、


あるいは楚辞の、『蓼虫ハ葵葉ニ徒ルヲ知ラズ』

といわれています。


辛いヤナギタデを食べている虫は、

甘いフユアオイに見向きもしないでその味を知らない。

という意でニュアンスは少し違っています。


事実シロシタヨトウの幼虫やイチゴムシは、

辛いヤナギタデを食べるといいます。


食用になるのはすべてヤナギタデやその変種です。

ヤナギタデはアユタデ(ササダテ)とも呼ばれるように、

鮎の塩焼きには欠かせませんが、

江戸の頃は別の用途にも使われています。


『交りの鮨箱居残りは柳たで』(柳多留133)

鮨には必ず蓼が添えられていました。


菜譜(貝原益軒 正徳4年 1714年)に、

『凡たでは魚毒をころし腥気をさる』

とあり、魚毒をさり生臭さを取り除くとして利用されました。


『蓼と酢で待つ黄昏の魚の声』(柳多留126)


和漢三才図会にも、

『魚鰛を食ふに蓼酢を用す』

とあり、鮎だけでなく生臭い魚(鰮・イワシ)等

食べる時のも使用しました。


刺身のあしらいに添えられているベニタデはヤナギタデの、

アオタデはヤナギタデの変種の子葉を

摘み取ったものという事です。