鮎釣りのひとりひとりの瀬のすがた  黄枝


鮎釣りのシーズンが近づきますと、

川筋の人々は落ち着かずあそこは魚影が濃いの薄いなと、

歩き回り血湧き肉躍るといわれます。


何がそこまで人々を駆り立てるのか不思議な魚です。


鮎釣りといえば今は友釣りが主流で人気があります。

竿も竹からグラスファイバー、カーボンと急速に進歩して、

釣り方も一気の牛蒡抜きで攩網に取り込みます。


その方が囮の鮎の痛みも少ないといわれ、

おそるおそる河岸へ手繰りよせた昔が嘘のようです。


友釣りが何時頃誰の手によって考案されたものか

はっきりしませんが、

鮎の生態を巧みに取り入れた日本独自の漁法で、

世界的にも珍しいといわれています。


友釣りは徳川時代は武士だけに許された特権といわれ、

庶民の手には届かなかった釣り方です。


鮎漁は古代より鵜飼、毒流し、鮎簗が行われていました。


大国主命の食事を司る櫛八玉神は、

天孫族でなかったので神に祀られていませんが、

魚や貝を鵜のようになって捕えたといいます。


神武天皇は、芳野川のほとりで、

『汝は誰ぞ』 と問いたまえば、


『(僕は国つ神、名は贄持之子と謂ふ)と答へ白しき。

これ阿陀の鵜養の祖なり』 と記されています。


毒流しは神武天皇も使用し味方を勝利に導きますが、

漁族の絶えるのを心配して

陽成天皇は元慶年間(877年~885年)に禁止しています。


鮎簗もやはり根こそぎとられ絶えることを憂い

天武天皇((673年~686年)も一時禁止し、


白河天皇(1074年~1087年)は

鵜飼を禁止していますがこちらは仏教の色合いが強いといいます。


『汲みあゆや青山高く水長し』(召波)

その他に、川の流れを堰き止めて飛び跳ねたところを、

掬い取る汲鮎の漁法もあります。