生きながらひとつに氷る海鼠かな  芭蕉


水族志(畔田翠山 天保10年 1839年)に、

『按ニナマコニ紅色ネルヲアカコト云、黒色ナルヲクロコト云フ、

黄紅雑者ヲナシコト云フ、黄梨ノ色ニヨリテ名ク。

又ナシコニ五色ヲナス者アリ』


栗氏千虫譜にも、

『尋常者青黒茶褐ノ斑アリ。

又赤色ニシテ赭黒ノ斑アルモアリ、

赤ナマコト云う。味同シ、只食料二人夫好』


とあります。食料の海鼠はいくつか種類がありますが、

アオナマコ、アカナマコに分けれます。


食用の方法は、世事百談(山崎美成 天保14年 1843年)に、

『海鼠の生なるを生海鼠、

湯で煎りたるを煎海鼠(イリコ)、

串にさして干したるを串海鼠(クシコ)といひ、


奥州金花山の海辺にあるもの別品にて、

その干したるを金海鼠(キンコ)とて世に賞味することなり、

また虎海鼠といふ一種あり』

とあるように、大別する事が出来ます。

 

流通に便利なものはイリコで、

元禄の頃(1690年前後)すでに中国に輸出しています。


イリコは伊勢貞丈に、

『丸の儘乾したるを熬鼠と云ふなるべし』 とあり、


延期式にも、異利谷、熬海鼠と記載されています。


その他に、海男子の名もあります。

海男子の由来は姿形からのようで、

五雑俎(謝肇湖 中国明時代)に、

『海参遼東海浜有之一名海男子。其状如男子勢(ヘノコ)』


魚鑑(武井周作 天保2年 1831年)には、

『状男勢のごとくゆえ名く。海夫人の対なりといふ』

とあります。


日本山海名産図会にはもっと露骨に、

『されど海男子は五雑俎に見えて、

男根に似たるをもって号たり』 と書いています。


海夫人は貽貝(イガイ)をさします。

海鼠の川柳はすべてここから始まります。

おだやかな川柳をひとつ、


『あわび取り海鼠の潜るこころよさ』(江戸古川柳)


日本山海名産図会巻四に、

イリコとクシコの作り方が出ています。


『煎乾の法は腹中三條の腸を去り、

数百を空鍋に入れて活火をもって煮ること一日、


即ち鹽汁出て、焦黒硬く、

形微少なるを又煮ること一夜にして、

再び稍大くなるを取出し、冷むるを候い糸につなぎて乾し、

或は竹にさして乾たるを串海鼠のと云』

と説明しています。