西瓜赤き三角童女の胸隠る  節子


八十翁疇昔話(新見正朝 享保17年 1732年)に、

『昔は西瓜は、歴々小身喰ふ事なく、

道辻番などにて、切り売りするを、下々仲間など喰ふ事なり。


町にて売るも、喰ふ人なし。女など勿論なり。

寛文のころより、小身衆調えて喰ふ。


それより段々、大身も大名も食ふ様になり、

結構なる菓子になりぬ。西瓜大立身なり』 とあります。


江戸で西瓜を食べ始めたのを寛文の頃としますと、

かなりの速さで広まった事になります。


女など勿論なりとありますように、

女性の方は食べるのに苦労しました。


『西瓜食う娘の口のむずかしさ』(万句合宝暦10)


西鶴の好色一代男巻六、寝覚の菜好の中では、

『過ぎにし夏よし岡に西瓜ふるまひ、出歯をあらわし、

妻木に海藻凝(トコロテン)を喰はせ

(むまひなあ)といはしめし事も人の仕業ぞかし』 とあり、


世之介が太夫に西瓜を食べさせて、

むさぼり食べる様を嘲笑しています。


太夫が我を忘れ出歯をむき出しにして

(むなひなあ)と食べる様を思いますと哀しさを感じます。


西瓜の赤い果肉が好まれるのはいつの時代も同じ事で、

今は当たり前と思える赤さも、

昔はかなりの当たり外れがあったようです。


江戸の頃の夜商いの店は行灯に赤い紙を貼っていました。


『あんどんで真赤なうそを売っている』(柳多留46)


『行灯の朱を奪フや西瓜見世』(万句合)

と小細工見え見えです。


『談じ合ひ易者と笑ふ西瓜売り』(五色墨)

中を見分けるのはプロでも難しいものです。


『なれたとて真赤な嘘を西瓜売り』(俳諧鐫)


『あかいうそついて行けりすいくわ売り』(小夜しぐれ)

と、度重なるひどさに腹を立てても、


『念おされ余所見している西瓜売』(手引種)

お互い打打発止です。