粗糖水くるくる廻し尼の箸 青畝
江戸も嘉永の頃になりますと、
江戸っ子の甘好きといわれるように、
砂糖なしでは生活できない環境になっています。
守貞慢稿(喜多村信節 嘉永6年 1853年)に、
『江戸は専ら鰹節出汁に味醂を加え、
或いは砂糖を以て之に代う。
醤油を以て塩味を付ける故に、
口に甘く旨しと雖も、其物の味を損すに似たり。
然れども従来の風習となり、
今は味醂或いは砂糖の味を加えざるを好まず』
煮物の味付けばかりでなく、
菓子の中にも砂糖を固めた物と思えるものもあります。
楓軒偶記(小宮山昌秀 文化年間 1804年~18年)に、
『義公以来、世々彼が家に臨ませらるゝ事あり。
その時必ず切砂糖と云へる菓子に、
鋸をそえて上がる事吉例なり。
公その鋸にて、自ら菓子を切断して用いたもふよし』
とあります。菓子を食べるのに鋸とは何とも大袈裟と
思いますが、それ程固かった事になります。
その他に砂糖のみ使用した砂糖漬もあります。
塵塚談[小川顕道 文化11年 1814年)下巻に、
『砂糖は諸物をやわらぐものと見えたり。
天門冬(tテンモントウ)、生姜、仏手柑の類は、
歯の隕し人は喰ひがたし。
しかるに右三品の砂糖にせしは、
老人もたやすく喰うものなり』
卯花園漫録(石上宣統 文化、文政の頃 1804年~30年)には、
『蜜柑、くねんぼの類、砂糖漬の仕方むずかしからず。
蜜柑にても、久年母にても柚にても、
砂糖を水に搔き混ぜ煮立て、その中へ右の品を入れ、
能くふくるゝ程煮て、板上に並べて、
上よりそろそろ重く成るように次第に圧して、
橘柑の酢を悉く絞り出し、銭のごとく平げる時、
風に吹かせて乾かし…
壺砂糖をふりて、その品を一通並べて、また砂糖ふりて』
と記されてています。
我衣(加藤玄亀 江戸時代 発行年代不詳)十九巻に、
『生姜を皮を去りへぎ、水に浸し、三日三度水をかへ、
それより蜜に水を加へ、右の姜を煮、取出し日に干し、
乾たる時、砂糖に混ぜ候。
天門冬はその儘水にて煎、日に干し砂糖に漬ける』
と当時の作り方を説明しています。