昼寝の昼のさびしきおでんかな  弘


『田楽は昔目で見今は喰ひ』(柳多留拾遺4)


田楽の語源は田楽舞からきています。

御囃子の中で一本の棒に乗り飛び跳ねて踊る姿が、

豆腐を串に刺し味噌をつけて、

炉端等に立てて焼く形と似ているからといわれています。


豆腐の田楽からおでんの言葉も生まれました。


昔の女房詞で、田楽をおでんと言い、

そこから生まれたとする説。


田楽の田におをつけたたする説。

その辺りの事は今ひとつはっきりしません。


江戸時代におでんの辻売りが街角で見られるようになります。

守貞慢稿によりますと、

『燗酒と蒟蒻の田楽を売る、江戸は芋の田楽を売る也』


別名上燗屋ともいい燗酒と一緒に、

おでんも商ったといいます。


この頃になりますと、豆腐に味噌をつけて焼く田楽とは他に、

今の味噌おでんに近い物も田楽として売られていたようです。


焼いたのが田楽、煮込みがおでんというところでしょうか。


市隠月令に、

『六月 夜も少し延びたりと思う頃おでん売る声を、

昔は寒中をむねとありきしが、

今は門涼の比専ら売る事とはなりぬ』


四季を問わず人々に愛されたようですが

酒の肴としてでしょうか。


売り声は、

『おでんやおでん 甘いと辛いあんばいよしよし』

と声をかけたそうで、味噌味も二種類あったようです。


宝暦の頃蒟蒻等のおでんが出始め、

現在のおでんに近い物は野菜田楽として文化文政の頃で、

料理綱目調味抄や素人包丁に、

『大根 かぶ 牛蒡 山の芋 蓮根 くわい松茸等各みそ田楽』

と記されています。