歯固に杖のへるこそめでたけれ 北枝
季節感の少なくなった昨今の餅ですが、
正月の鏡餅は今でも風習として根強く残っています。
いつ頃から正月に飾るようになったか、
古典文学で見る限りはっきりしません。
豊後国風土記(奈良時代 成立年代不詳)に、
『昔者、郡内の百姓、此の野に居りて、多く水田を開きしに、
糧余りて、畝に宿めき。大きに奢り、
己に富みて、餅を作ちて的と為しき。
時に、餅、白き鳥と化りて、発ちて南に飛びき。
当年の間に、百姓死に絶えて、水田造らず。遂に荒れ廃てたりき』
とあり、同じ豊後国風土記逸文には具体的に記されています。
『酒ノミアソビケルニ、
トリアヘズ弓ヲイケルニ、マトノナカリケルニヤ、
餅ヲククリテ、的ニシテイケルホドニ、
ソノ餅、白キ鳥ニナリテトビサリニケリ。
ソレヨリ後、次第ニオトロヘテ…
田ヲツクリタリケルホドニ、ソノ苗ミナカレウセケレバ』
農業を糧とする人々が、富を良い事に酒の座興に、
餅をもてあそんだ事を戒めています。
この時使用した餅は丸いと記されていませんが、
的に使う程ですから丸く作る習慣はあったと思います。
日本霊異記(弘仁14年 823年以前)に、
『餅を作りて三宝に供養すれば、
金剛那羅延の力を得云々といへり。是を以て富を知るべし』
とある餅は力餅で丸い餅です。
源氏物語(紫式部 寛弘年間成立 1004年~)初音の中に、
『歯固めの祝ひして、鏡餅さへ取り寄せて、
千歳のかげにしるしき、年の内の祝ひごともして…』
正月ではありませんが、祝いの席に鏡餅を使用しています。
栄花物語(著者不詳 長元年間成立 1030年~)巻第十一に、
『鏡餅見せ奉らせ給ふとて、
ききにくきまで祈り祝ひ続けさせ給事どもを…』
と鏡餅を見せる時、長い祝詞を聞くのが辛く、
その上可笑しくて我慢できないと続きます。
この頃すでに、祝いの席に鏡餅は欠かせない物でした。
鏡餅を二つ重ねるのは、太陽と月、陰と陽、男と女を
意味すると言われています。