君が世や旅にしあれば笥の雑煮  一茶


雑煮が南北朝に始まり、

室町時代に成立したとする説が一般的ですが、

我衣(加藤玄亀 江戸時代 年代不詳)十九巻は

平安時代すでにあったとする考えで、


『雑煮は、旧年製したる餅に、牛蒡、大根、昆布、芋、菘、

煎海鼠など加え、羹として食す。

俗にこれを雑煮と云ふ国にて悦ばしき事有れば、

元日に限らず、惣じて餅を作り雑煮とする事なり…


元日に芋、荒布など用ゆる事は

(延喜式)の大膳の下にすでに記されており、


貫之が(土佐日記)にも、元日の下に

(いもしあらめも歯固もなし。かうやうのものもなき国なり。

求めしもをかず)と書けり。


中華にも春餅を進む事、(月令広義)にも見えたり』

と記しています。


確かに、土佐日記(紀貫之 承平5年 935年)に、

『元日。なほおなじとまりなり…いもじ、あらめも、はがたなもなし、

かやうのものなきくになり。もとめしもおかず』 とあります。


貫之が船宿りの中で、船を国にたとえ大袈裟に書いたものです。

歯固めとは齢を固める儀式で、正月元三日に長命を祝って食べる

祝いの食べ物です。


調理法は分かりませんが、餅、猪、鹿、大根、瓜等を使用しています。

新年の正月三ケ日餅を食べて年齢を重ねた事を祝う儀式です。


我衣の著者が言う通りこちらが雑煮の原型と考えた方が

分かりやすいと思います。


雑煮が書物に現れるのは室町時代の料理書包丁聞書のようです。


室町時代に起こり江戸時代初期まで続いた式三献料理は、

流派により多少の違いはありますが、

本膳の出る前に式三献の儀式があり、

引渡膳、雑煮膳、吸物膳と続きます。


雑煮は祝いの席のめでたい席に正式に登場する

料理のひとつだったのです。