サンディエゴ海軍基地を訪問 | 橘秀徳 オフィシャルブログ Powered by Ameba

サンディエゴ海軍基地を訪問

 1月13日午前中、サンディエゴ海軍基地を訪問。広大な基地を見学した後、イージス艦チャンセラーズヴィルに乗船、艦長からお話をいただきました。昨年の3月11日に艦は韓国に向けて航行中に日本近海の太平洋上にいて、大震災が発生、すぐに戦闘から支援へと任務を切替えたそうです。

遺体や家が海に流れてきている辛い状況を見て、一丸となっての支援を決意、艦の支援物資が底をついた時、乗組員達は館内の売店で自ら商品を買って、あるいは自分の服を支援物物資としたと。ヘリのパイロットが被災地から帰ってくる度に艦内放送で感想を述べたとの逸話も披露していただきました。

震災発生直後、私は国会の対策本部で、特に72時間以内の体制の際、同様に遺体発見の報、物資の不足の報を受け、対応にあたっていました。有難い支援をしていただいたことに涙を止めるのに苦労しました。

艦長に質問をと言われましたが、即座に We thank you deeply in our mind for your operation Tomodachi.(友達作戦に心より感謝を致します)と御礼を言いました。


震災発生直後、私は国会の対策本部で、特に72時間以内の体制の際、同様に遺体発見の報、物資の不足の報を受け、対応にあたっていました。有難い支援をしていただいたこと、さらに加えてのエピソードをうかがい、涙を止めるのに苦労しました。

私の祖父は約70年前に39歳で海軍で戦死しています。今米海軍の軍艦上にいて、祖父を思いました。副官が口髭や輪郭等、仏壇にある祖父の写真に似ていて、思わず一緒に写真を撮らせて頂きました。


元は航海士で、戦間期に米欧を始め世界を実際に見ていた祖父。出征前に当時10歳のだった父に「米国には勝てず、自分も生きて帰れない。おまえは長男だから、母と弟妹の面倒をしっかり見るように」と言い聞かせ、戦場で散ったそうです。3週間の滞米中、しっかり体感し、今10歳の息子に伝えます。

サンディエゴ海軍基地では、楽しみにしていた病院船マーシー号に乗船し、船長をはじめ、クルーの方々から説明をうかがいました。タンカーを改造した巨大な病院船は多くの手術室を備え、1000床のベット、1000人以上のスタッフ。


しかし病院船マーシーは、日本で理想的に想像していた姿とかけ離れていました。出航までに5日間も要し、速度が遅い上に、航海一日で28万ドルを要し、タンカーからの改修費用は2億ドル。公開は2年間で4~5ヶ月のみ。25年間経った船の今後の見通しは不明。現地現場の大切さを知りました。

ある連邦議会議員と会談し、基地と地元の関係について、意見交換しました。私の選挙区にも厚木基地とキャンプ座間があり、詳細はお話しできませんが、相通じる部分がありました。しかし違う部分も。

サンディエゴは今14日午前1時半。これから寝て、早起きして、メキシコ国境に向かいます。