しばらくnoteの方に入り浸っていたので、久しぶりにアメブロの方へ帰って参りました。
私は、一つのところに留まり存在を固定するのがとても苦手なのです。
物事は、浅く広くが苦手でものすごく深掘りするのに、居所に関してはダメですね、ブログでもそうだとは思いもしなかったです 笑
私という存在を捕まれるのが苦手な気もします。
何故だか異様な存在感を放っていた子供時代は、表に引っ張り出されては嫌な思いをさせられるという、どうしようもできない辛さから、いつしか存在を消すことに徹していました。
皮肉なことに、存在を消すことで、母親や家族たちとも摩擦が無くなり、人からも受け入れられる様になったのです。
そして、削れば削るほど、私は好かれる。
ああ、私がダメだったんだ。
そう感じた時、もう自分というものを出すのはやめようと誓いました。
しばらくそんなふうに生きていたある時、今の夫と知り合いました。
彼とは初め,文章のやり取りだけをしていました。昔で言う、文通的な。
上手な文章を書くわけではないけど、なんて言うか、すごく誠実で心の綺麗な人だなあ。と、すぐに惹かれたのを覚えています。
私は、文章や言葉で人を視ます。
どんなに素晴らしいと評価されている人やハイスペックな人、外見的に優れている人、頭のいい人、、、いろいろあると思うのですが、私の場合は、言葉や文章で違和感を感じた相手とは密には関わりません。それは男女ともです。
綺麗に整えても、或いは,全く同じ言葉を使っても、その人の心根みたいなものはわかります。形式でもないし、これはなんなんでしょうね、文字に映る持つエネルギーを感じているのでしょうね。
ですから、私はとても、言葉や文章を大切にするのですが,夫は美しくはないけど綺麗なことばを紡ぎ、私の書く文章のファンでいてくれました。(仕事で使う文章とかです。)そして、今も。
その夫が、言うわけです。
もう存在を消すのはやめなよ。と。
もっと言うと、、、不思議なことですが、亡くなった姑も時を超えて伝えてくるのです。
最初は混乱しました。
私という人間は無くした方が円滑に、好かれるのに。
結婚し、住まいを移しました。というか、生まれ育った土地からとっても離れている地域に行き、故郷とは物理的にも精神的にもうんと距離を置いたのです。
そこで、自分というものをもう一度肯定してみることにしました。ちょっと大変な時期を何年も過ごしていたので、もういいやって、投げやりになったところも大きいのですが。
すると驚くことに、周囲の人が優しく、私を大切にしてくれる様になったのです。
あんなに ダメ な私なのに。
何が起きたんだろう。
今日、お伝えしたいことがふたつ、あるのです。
まずひとつは、
今貴方を大切にしない環境にいるなら、すぐにでもその土地を出て、新しい人間関係を作ってほしいということ。
もうひとつは、
存在を消したり、貴方自身があなた以外のナニカになると、多大な影響が出ます。それはこの世界にとって、貴方の存在が必要かつ重要だからです。
環境を変えるのは、先にお伝えした通りです。
で、大切なのが、存在を消さない,ということ。
これは本当に大事なんです。
私は長く存在を消していました。
静かに、自己主張などせず、相手の言いなりに。そして、自分より相手を、自分を削って捧げる。
こんな風な生活が何年も。
すると、私は 無きもの となりました。これは私が自ら望んだこと。
問題なのはここからです。
私自身に大切なものや存在ができた時に、その存在を軽く見、蔑ろにされるのです。
事実、夫と結婚した時は、母親や兄弟や周囲から、兄弟の時とは比べものにならないくらいの、失礼な態度を取られましたし、その存在を軽く捉え、非常に不愉快な想いをしました。
子供たちにしてもそう。なんていうか、他人以下,だったのでしょうね。
自分の在り方が、こんなにも波及し影響するなんて思いもしなかったですし、ましてや自分の大切なものがこんなにも傷つけられるなんて、想像もしていませんでした。
これはとっても大切なこと。
このブログは主に、HSP気質の人へ向けて書いているのですが、HSPは他者の気持ちに敏感ですし、場の空気をいやでも読んでしまう。
すると、自己主張を諦めることや、自分を消してしまう人,多いのではないでしょうか?
非HSPでも、優しい人なんかは、自分より他者を慮るところがあります。
それは時として、非常に良くない結果を招きかねないのです。
ナイチンゲールやマザーテレサは、愛の人です。
でも愛の人であるからこそ、めちゃくちゃ強い女性たちでした。
それを知っている多くの人は、そら恐ろしい女だ。とか、性格のきつい嫌なやつだった。なんて、酷評している人がちらほら見受けられますけど、目的のためなら自分の評価なんて気にならない美しい女性だったのです。
強くあらねば、守るものも守れないのです。それをよくわかっていた聡明な方たちだったのです。
自分の得だけを追い求めたり、他人を傷つけているわけではないのだから。
今、自分を消して、静かに息を潜めている人。
あなたが悪いと、責める様な環境にいる人。
どうか、自分のために、生きてほしい。切に願います。