多分穴が開いているボールが弾むとパシュンパシュンという音がなると思うんだ。
そうそう、いつも考えちゃうのが記事の題名なんだ。いかにインパクトのない題名にしようか考えてる。きっと多くの人が検索しないだろう言葉にしようと思ってる。みんなの生活圏内に小指1本入るくらいの存在感で記事を書いてる。コンビニという便利なストアに売っていながらも、全く需要がないであろう、なぜ売られているのかさえ疑問に思わないであろう商品のような存在感で書いてる。
要はみんなの邪魔だけはしたくないんだ、と思うんだけどね。実際そうもいかないのかなと思ってる。書きたいことを書いてるわけだけど、あんまり気にしないでほしいんだ。わがままでごめんね。
とまあそんな思いではいるわけなんだ。最近は主観から抜け出したいと思ってる。自分という者が何なのかがなんとなく分かってきた気がするんだけど、そんな自分から抜け出したい。出られそうな時はあるんだけど、それが一体どういう状況なのかは説明できないんだが、抜け出せそうな時がある、ような気がする。
そう思ったきっかけがあった。というかそう思うであろう道を歩いてきた気がするんだ。周りから俺はどう見られているんだろうと病的に意識していた時期が25年くらいはあるんだ。そこから今は少し落ち着いてきた。そしたら自分というものを周りにいろんな形で表現しようと思うようになってきたんだ。視覚的な変化はほとんどないはずなんだけど、内面的にそう思うようになってきたんだ。でもなんか違和感がある。その違和科が何なのか分からないことが何とも居心地が悪い。それならいっそそういう段階、世界から抜け出したい。
そもそも周りに表現しようとなぜ思うのだろうか。俗にいう承認欲求なのだろうか。
なりたい自分みたいなものはある。昔、津波で全てを失った人に自分なら何ができると思う?と質問された。その時は何も答えられなかったんだけど、今同じ質問をされたら多分こう答える。何もできやしないって。そもそも何かできると思ってる時点でなんか違う気がするんだ。多分この質問に適した答えはないし、答えたところで、傷ついた人が少しも幸せにならないんじゃないかなと。
じゃあどうするのか。平和に向けて俺1人にできることはほとんどないに等しいのかもしれない。けどあきらめない。何もできないかもしれないけどあきらめない。何ができるのか分からない。ほとんど確実に俺が戦争を止めることはできない。そんな具体的で大きなことはできない。
正直、俺自身が社会を公平に見ているとも限らない中で何かをすること自体、周りからしたらもっと意味不明に思うだろう。多分そこなんだと思う。そこらへんをブラブラしていたら指針が見つかる気がする。
でもこれだと思って手に入れた地図がデタラメな時もある。
とここまで書いてみたんだけど、ここまで書いてみて分かったことはほとんどない。
でもこれだけは分かる。俺はアンパンマンになる。