いつも立ち向かわなきゃいけないのは自分なんだ。人生とは自分との戦いだ。比べるのは他人ではなく己なのだ。
と書き出してみたが次の言葉が出てこない。
最近岡本太郎さんの本を読んでいるんだけど、少しだけ岡本太郎さん風なことを書いてみたかった。ただそれだけなんだよ。
文章からでも岡本太郎さんの生命力みたいな強力な何かを感じる。小学校を4回転校した。その理由は教師、学校と岡本太郎さんがうまくいかなかったからだそうだ。関係性みたいなものがうまく合わなかった。別に悪いことをしたわけではないのだが、小学校1年生にして学校という社会に疑問を持ち、立ち向かったのだ。素直にすげーなと思う。出すぎた釘は打たれるのように、何度も岡本太郎さんは打たれたそうだ。それでも確固たる自分を持って生き抜いたんだ。かっこいい。
話は変わるが、僕はダウンタウンの松ちゃんが好きだ。昔からよくガキ使も見てた。でもある事件を松ちゃんが起こしてからは、松ちゃんはテレビに出なくなった。正直つらい。またテレビじゃなくてもいいから元気な姿で会えたらいいなと思う。
よく思うことなんだけど、松ちゃんのニュースに限らずのことなんだけど、ニュースを観たり聞いたりした時に、「このニュースって作り話なんじゃないか」とか「でっち上げられてるんじゃない?」とか「何か大きな力が働いていて、ある芸能人がその犠牲になっただけなんじゃないかな」と訝しむ時がある。
例えばある芸能人が女性に嫌がらせをしたなどのニュースを聞いた場合、その行為が言葉のみで伝えられた場合にはいくらでも操作できると思う。つまり、実際にはそんなことは起こっていないのにもかかわらず、さも事件が起きたかのようにニュースで報じることによって、ある芸能人を芸能界から追放するということ。
仕組みとしては、よくある噂話によって誰かの評価を貶めるみたいなもんだ。
子供でも噂話はあるが、大人のそれは子供のそれより何十倍も悪意に満ちていると思う。
戦時中じゃなくても震災やそれに関わる時でも流言飛語といってデタラメな情報は人々を混乱させる。
最近は顕著だが、ガソリン価格がどんどん上がっていく。それに伴い物価も上がってる。これは実際に生活で経験してるので事実だと分かる。
コロナが猛威を奮っていた頃、スーパーにはマスクも消毒用のアルコールも棚からなくなった。売っていてもマスクが一箱1000円くらいしていた。異常な事態だなと思った。
そう危険が迫ってる可能性が高い場合、人間は怯える。そして何とかして命を守ろうとする。本能だ。
確かに感染者もいて亡くなった方もいる。人間は感染症と戦ってきた歴史があり、何百万人も亡くなったウィルスだってあるようだ。これも事実だ。
コロナではたくさんの感染者が出て、今も後遺症に悩まされてる人もいるし、亡くなった方も多くいる。芸能界でも亡くなった人もいる。これも事実だ。
つまり、ニュースにはいくらでも情報が操作できるものと、現実に起こっているものが混ざっているだろうということなんだ。
だから僕は基本的にあまりニュース自体観ないのだけれど、客観的な情報が乏しいと思うものはガン無視している。
ただ、話は戻るが、松ちゃんの事件についての話とは分けてほしいんだ。
何かしらあって、傷ついた人がいるならその責任は取るべきだと思う。仮に責任を取っても、その罪が消えることはないのだけれど、いかんせん罰の方が厳しすぎるのでなかろうか。
例えば、悪いことをした芸能人が出演していたドラマは再放送できないとかはやりすぎだと思う。
その芸能人がやったことと、ドラマの評価は別にすべきだと思う。
話が長くなるから端折るけど、そんなことをするなら、テレビという物がなくなるんじゃないかなと思う。
テレビというのは公共財というくらいに人間生活に深く関わっている。テレビもスポンサーがいなければやっていけない。スポンサーは神様みたいなものなのかと不思議になるけれど、もしそうなのであれば、思い切り不適切な番組があってもいいんじゃないかと思う。ちょっと話が飛んだけど、要はスポンサーは自社製品が売れるのであればテレビは何をやってもいいということにすればいいと思う。要は自社製品の例えば唐揚げを世界一にしたい会社があるなら、視聴者や世間は許さないだろう芸能人を出演させてみるのもいいと思う。
そもそも適切か不適切かを純粋に自己判断で決めるのは難しいと思う。人それぞれ違うだろうけど、無意識に画一的に操作されてるだろうから。要はインセプションされてるんだと思う。
この続きはまたいつか書くね。
とまーつらつら書いてみたが、1人の悲しいモンスターの発言だと思ってね〜。
今日もありがとぅ。まったねー!!