在日ムスリム(イスラム教徒)の土葬墓の問題で
「日本は伝統的に火葬文化の国であり土葬は禁じられてるから郷に入っては郷に従え」
と云う声をネット上等でネトウヨを中心に保守系の方々から聴かれるのだが誤解がある様なので指摘しておきたい

先ず最大の誤解は「土葬は(法で)禁じられている」と云うモノ
我が国では埋葬法により土葬は認められて居る
更に云えば我が国の火葬文化は決して伝統的では無い
我が国で火葬が一般化されたのは二十世紀になってからであり
現状の様に火葬が主流となったのは昭和に入ってから
火葬が9割を超えたのは高度経済成長以後である
よく「土葬は環境に問題がある」と反対する声もあるが
これも根拠に乏しく火葬が常態化してからの後知恵である

我が国の火葬の始まりは
遣唐使に随行して入唐し三蔵法師の弟子となり帰国した僧の道昭が
遺言で弟子により西暦700年(文武天皇四年)に大和の栗原(奈良県桜井市)で荼毘に付された事が「続日本紀」に記載されて居り
我が国の火葬の始原とされて居る

しかし火葬が一般的に定着したのは近代になってからである
明治三十年(1897)に感染症予防法が制定され
指定感染症で感染死した遺体は火葬とする事が義務付けられた事が切っ掛けだ
しかしそれ以外での遺体はまだまだ土葬されて居た
同年29.2%だった火葬はコレラの感染拡大に伴い昭和十七年(1942)年には57%まで急増
しかし感染症の収束と共に火葬も減り30%まで落ち着いて居る

火葬が再び増え出したのは戦後になってから
高度経済成長に伴い地方から都市部への人口流動が増えると
都市部では人口過密に伴い墓地の不足が顕著になった
そこで場所を取らない火葬の需要が高まった
一方で人口の流出した農山村地方では人手不足により土葬が困難となった
遺体の入った棺を運び深い土穴を掘るには人手労力が必要であり
従来埋葬は地域の人々の協力によって行われて来たが
地方の過疎化でその労力不足により土葬の維持が困難となった為である

更に昭和二十七年(1952)に国の資金を充当する特別地方債が「火葬場の建設財源」に対して適用され火葬場の新設や増改築が推進される
つまり火葬場の整備が公共事業として盛んに行なわれ
それに伴い行政による火葬場の利用が推奨され始めた

火葬が高度経済成長と共に増えて行った事はその数字を観れば歴然であり
昭和三十年(1955)には57.4%
昭和三十五年(1960)には63.1%
昭和四十年(1965)には71.8%
昭和四十五年(1970)には79.2%
昭和五十年(1975)には85.7%
昭和五十四年(1979)に遂に90.1%となる
平成十六年(2004)には99.8%となり
現在では99.99%が火葬となってしまった

現在は土葬を受け付けられる墓地自体が希少となってしまい
現代人にとっては火葬が当たり前となってしまった為に
あたかも火葬こそが我が国の伝統であるかの様な錯覚に捕われてしまったのである
しかし現在でも埋葬法により土葬は何ら問題無く認められて居り
長い我が国の歴史から観れば土葬こそが伝統であり
火葬が過半数を超えた歴史はそれ程では無いのである

そこに急増するムスリム移民がその宗教的理由から土葬を求める様になり
大分県でのムスリム用土葬墓地建設を巡って大規模な反対運動が起こった事から全国的な注目を集め
移民受け入れ反対の声として土葬墓問題がクローズアップされたのである

これまでもムスリム等の土葬墓問題は発生して居り
ユダヤ教徒やキリスト教徒も同様に土葬を求める声があった
ユダヤ教徒等は死後遺体を祖国に搬送して土葬する等の対応も為されて来たが
遺体の長距離搬送にはその保存の為の防腐措置や搬送費用がべら棒に高く
これは一部の富裕層にしか出来無い事である
その為国内の僅かに残る土葬受け入れ可能な墓地経営者が
善意からムスリム土葬も受け入れて来て居た

ところが最近
埼玉県の土葬墓苑でスリランカ人の遺体の土葬を受け入れた処
イスラム教徒による反対運動が勃発した
異教徒(非イスラム教徒)の土葬を同じ墓地で受け入れられないと反対し始めたのである
結局墓苑側はムスリム土葬墓から距離を離して埋葬する事で対応したが
善意からムスリム土葬を受け入れて来たのに
移民同士で宗教的対立を持ち込まれる事への困惑を隠し切れないで居る

多文化共生の問題は日本人対移民の段階から
移民対移民の対立へとフェイズがシフトして来つつある
移民の推進政策は新たな社会問題を増加させつつあり
この様な誤った政策は早期に見直すべきである