私たちは布教ツールのために、

お寺から新聞を発行している。

今は原稿作成中だ

主には副住職の夫が書く。

今回はその内容から少しだけ

考えさせられる内容があった。

「震災がれき」の件である。

震災のがれきの受け入れに関しては

放射能の問題で拒否される方も多い。

その気持ちもわかる気がする。

自分達の生活にも関わってくる。

でも震災直後にどれだけの人が、

がんばろう日本や、ボランティアに参加

したい、応援物資を送りたい。と

殺到した。

とてもすばらしいと世界からも絶賛を

受けた。

でも震災のがれきがある限り

復興は進まない。

がんばろう日本!!なのに

結局、人間は勝手であり、自分達の内の中で

震災の影響を持ち込まれるのは嫌である。

でもこのがれきがある限り震災の復興は

進まないし、がんばろう日本というわりに

自分達の問題や生活を揺るがすものは

許せないという、人間の本質的な

都合で生きる姿を見た気がする。

国は東京電力はあてにならない。

確かにそうだ。

私にも幼いこどもがいるし、

その子が被曝してしまったらと

考えるとその気持ちもわかる。

でも福島には自分と同じような母親や

子供がいる。

私も水や物資・義援金を

たくさん送った。

でもいま一番復興に必要なのは

震災のがれきを片付けること。

自分たちもこの震災を本当の

意味で受け入れる覚語が出来て

いるかという立場に立たされている。

今こそ仏教が必要だ

とよくいわれるが、

自分の外で起こっていることには

私たちは同情するが、

それが内で起ることには断固反対する。

口では頑張ろう日本といいながらも

都合が悪くなれば反対し、否定する。

矛盾だらけだ。

復興の足かせのがれき

受け入れを拒否する。

そういった人間の心の迷いを

仏教は教えてくれる。

いつの時代も仏教は必要だ。

今は国難で、このような状況になり

人間の都合のよさが

わかっただけである。

私もそのような部分を持ち合わせているだろう。