子供の頃、家のトイレは汲み取り式、いわゆる「ぽっとん便所」でした。
その家で、小学校一年生の時に親戚からスピッツの子犬をもらい受け、飼い始めました。
とても愛嬌があり、この世にこんな可愛らしい存在があったのかと子供心に感動しました。

夜寝るときは枕元に犬の寝床(その頃、室内用ケージなどしゃれたモノはなかった、と思う)
を置き、毎朝顔を舐められて目を覚ましてました。

ある朝、目を覚ますと遠くで犬の鳴き声が・・・。
とともに兄がなにやら騒いでいます。

起き上がって声の方へ行くと、そう、犬が便所の便壺に落ちたのです!!
幸いというか何というか、便壷には大量の○○○があったため
兄が上半身裸になって、便器の落とし口から手を伸ばしたらとどき
そのまま犬を掴み上げて救出しました。

風呂場へ急行し犬を洗いまくり(何回洗ったかは覚えていないのですが)
兄も大騒ぎで右腕を洗いまくり
どれくらいでニオイが取れたかも覚えてませんが
その後も可愛がっていた記憶があるのですべては
まるくおさまったのでしょう。

その犬も遠い昔に星空へ旅立ち
ずっと私たちを見守ってくれていることと思います。
ニオイ、とれたかい?

散歩の最中によく蜂に威嚇されてました。

歩いている私の進路をふさぐように

ブーンとあの獰猛な音をさせてホバーリングしてます。

私が何をした???

3年ほど前、某所で玄関ドアの外側天井付近に

蜂の巣があるのに気づかず、乱暴にドアを開閉し

走って楽器をクルマから降ろそうとしてたら

背中を刺されました。痛かったぞ、蜂!!

黒い服装だと蜂はクマと誤認識して襲い掛かってくるとか。

その時は黒いポロシャツでした。

なるほど、それでか。

私は元々黒っぽい服装を好むので

そこをまげてグレーのポロシャツで散歩すると

威嚇されなくなりました。

皆さんも蜂に気を付けて!!

今年もいろいろあったわけですが

あの人とお別れし、新しい命と出会い

時に涙し、時に笑い

辛くもあり、楽しくもあった

2022

 

あなたにとって、どんな一年でしたか?

 

どんなんでも、時はとどまることなく

過ぎて行きます。

 

あなたにとって新しい一年が

素晴らしい年でありますように。

 

今年一年ありがとうございました。

 

生きてゆくって、それだけで大変なことなんですよね。
いろんな逆境に立ち向かい、日々を乗り切ってゆく
この歌は「男たちは進む」と歌ってますが
女の人も、実はもっと大変だったりする・・・
次はそんな歌を作りたいです。

 

 

 

ドリフターズの中では控えめで

志村けんさんや加藤茶さんを

引き立てる役割が多かった仲本工事さん。

 

あなたの優しい人間性を見るようで

でも時には、彼らに出来ない

アクロバティックな動きで

キラリと輝きを見せる瞬間もあったり・・・。

 

運動が不得手なアイドル歌手と

体操のコントをやって

笑いながら、でも一生懸命に

アイドル歌手をアシストして

私たちを笑わせてくれた仲本工事さん。

 

志村けんさんや加藤茶さんとは、また違った

その存在感がドリフターズにおいては

とても重要な役割だったと思います。

 

ありがとうございました。

 

このところ著名な方々の訃報が続き

輝いていた昭和という時代が

少しずつ消えてゆくようで

とても悲しいです。

 

時に、涙が出るくらい笑わせてくれて

時に、憂うつな日々に立ち向かうその背中を押してくれて

元気と勇気と笑顔をくれた

皆さんに、ありがとうございました。

 

 

 

なんででしょうね?

いま、これを書いてるときも

涙が溢れます。

 

いろいろ、スキャンダラスな面もありましたが

私にとってアントニオ猪木は

元気をくれる存在だった気がします。

 

アントニオ猪木のプロレス人生は

いつも逆境がつきまとい

常にピンチの連続でした。

 

何十億円という借金を背負いながらも

「どうってことねぇよ」

と笑ってみせる

あの強さは、まぎれもなく

「師」となり得るものであり、

病で弱った自分の姿を、敢えてネット上にさらけだした

その精神は最後までファイターでした。

 

猪木さん、ありがとう!!

そして、さようなら!!

さようなら!!

 

また、悲しいニュースが。

三遊亭円楽さんが亡くなられたそうです。

8月に高座復帰されて、そのお姿をテレビで拝見したばかりだったので

「えっ、だって先月お元気そうだったのに・・・」

と驚きとともに、悲しさが。

 

落語好きの私にとって、いいえ、お笑いエンターテイメント好きの

私にとって、噺家さんや芸人さんが亡くなられるのは

とても辛いことです。

 

笑顔の裏に隠した辛さや苦しみや哀しみを

決して見せることなく

人々を楽しませることを生業とする彼らを

私は敬愛してやみません。

 

亡くなられたニュースの中で流れた、復帰の高座の様子。

「集中治療室から3度目の帰還を果たしました。

何でこんなことになったのか・・・・。

みんな歌丸が悪い(笑)。」

 

少し呂律の回らなくなった口調で

でも、お客さんを笑わせようとする姿勢と

歌丸さんを引き合いに出しての毒舌に

思わず涙が溢れました。

 

三遊亭円楽師匠。

私たちを楽しませてくださり

ありがとうございました。

闘病、大変お疲れ様でした。

 

どうか安らかに、

ゆっくりとおやすみください。

さようなら。

 

 

 

今日は終戦記念日。

私はもちろんリアルタイムで戦争を知ってるわけでは

ありませんが

実家には祖父の兵隊姿の写真があったり、

祖父が戦争から持ち帰った薬莢付きの弾丸2発が

神棚に飾ってあったり(笑)、と

少し戦争というものを感じる環境にありました。

 

昨今テレビを観ても太平洋戦争やその終戦の模様や

かつて日本も戦争してたんだよ、という報道が

年々少なくなってゆく気がするのは

私だけでしょうか?

 

今のこの日本の平和は

かつて戦争で辛い思いをし、悲惨な目にあい

そうした人々の思いが築き上げたのだとすれば

戦争を体験した方々が年々少なくなってゆく昨今

この先、私たちの子供たちや孫たち、さらにその先の

子孫たちに、平和な日本を引き継ぐために

戦争を知らない私たちは

何をどう語り継ぐのでしょう?

 

ちょっと心配になってしまいますね。

若い皆さんはどう考えているのだろう?

私が心配してもどーなるものでもないのですが。

 

平和は、当たり前にもたらされたのではなく

国民の思いと努力で成り立っている

 

終戦の日に、ガラにもなく

考えてしまいました。

 

 

 

 

そういえば、禁煙宣言したのは今年の1月でした。

早いもので、あれから半年以上経過してますが

その後、禁煙はどーなった・・・・?



ごめんなさい、継続してるんです、これが。

はなしとしては、禁煙に失敗して

「実はタバコ吸っちゃってました・・・」

というほうが面白いところではありますが

つまらない展開で、ごめんなさい。



どーした具合か続いてて、というか

日々の習慣から「喫煙」が消えてしまい

恐れていた食後の一服の誘惑もなく

それどころか、タバコを吸わなくちゃという

発想すら湧いてきません。



ミュージシャンがこんなマジメっぽいことで

いいのだろうか?

ミュージシャンはもっと身を持ち崩すような

怠惰な生活をしなきゃいけないんじゃないのか?



ちょっと自分らしくないな、と思いつつ

でも、いまさら吸う気も起きないし・・・



というわけで継続してます。

でも何があるかわからないのが人生。

何かの拍子に復活したりして。



あ、一度、6月に、ものすご~く吸いたくなった時がありました。

ホントに何にもすることがなく、ぼーっとしていて

「ヒマだなー。こんなとき以前だったら何してたっけ?

あっ、タバコ吸ってたんだねー。」

と思い始めたら、なんだか無性にタバコが欲しくなり


近所のセブンイレブンまで行ったのですが

店に着いたとたんに醒めてしまい

そのまま帰るのも何なので

カップのチャーハンを買って帰りましたっけ。



チャーハン、おいしかった。。。

では、また。