興南寮跡の碑 | ヒロシマ平和公園の四季

ヒロシマ平和公園の四季

「ヒロシマのこころ」とは、報復の連鎖を断ち切ること。
広島平和公園の碑めぐりのガイドをしている"たっちゃん"が、
平和公園の四季を通じて「ヒロシマのこころ」を届けます。

$ヒロシマ平和公園の四季-留学生の碑

YWCAのすぐ西、万代橋の近く、元安川緑地に、ひっそりと、しかし碑文や、囲む立て札の名前の仰々しい、この碑がたたずんでいます。1976年に建てられ、1995年に移設、建て替えられています。

太平洋戦争末期、「大東亜戦争」を正当化するために、占領地東南アジアから主に現地の、日本に友好的だった支配階級の子弟を「南方特別留学生」として広島文理大等に招いて、住まわせた「寮」の記念碑です。25名が住んでいたといいます。

そのうち、5名の被爆死が確認されています。元留学生の多くは、ここで被爆したものの、帰国後、日本で鍛えられた力で功なり名を遂げた人が多いようです。訪問するたびに、大学関係者らと、この碑の前や、犠牲者の墓がある五日市の光禅寺や京都(「オマール君を知ってますか」という書物も出されているといいます)で、慰霊祭が行われています。

これまでにインドネシアやマレーシアの要人、それに元ブルネイ首相ユソフ氏の孫3人が祖父の被爆の跡を訪ねた、と碑の説明版に記されています。