原民喜の詩碑には
「遠き日の石に刻み 砂に影おち 崩れ墜つ 天地のまなか 一輪の花の幻」 (原 民喜)
と刻まれています。
詩人原民喜は、40歳の時に幟町の生家で被爆しました。前年、最愛の妻と死別していた彼は、孤独と絶望に打ちひしがれながらも、生き残った者の使命として被爆の惨状を伝える作品を書き続けました。
しかし、朝鮮戦争が拡大、トルーマン大統領の「原爆の使用もありうる」との声明などに失望し、1951(昭和26)年3月13日、東京中央線の線路に身を横たえ自ら命を絶ちました。享年45歳でした。
原民喜の代表作『夏の花』は自らの被爆体験を記録したものです。被爆した幟町の生家から逃れ、浅野邸(縮景園)で2日間野宿し、八幡村(現在の佐伯区五日市町)に移るまでの惨状をノートに記し、2年後に発表したものです。