SNSを使って、うまく本音を吐き出せていると思い込んでいた時期がありました。
投稿した動画や文章は確かに当時の本音なんだろうけど、今は「他人に見られること前提の本音」だったと思うんです。
この内容なら発信してもいいかな、というフィルターを通していたし、誰かがリアクションしてくれるかも、という期待もあったし、何度も添削して読み直してから投稿をしていました。
この記事も少なからずそういう要素があって書いてる。
「ギャンブルやめて◯◯日経ちました!嬉しい!」
↓
「おめでとう」「いいね」「格好良い」
「ギャンブルせずに◯◯行ったけど、本当はしんどかった」
↓
「大丈夫?」「偉いね」「良かった」
こんな感じ。
人との繋がりを否定したいわけではなくて、投稿を通じて承認を得ることも目的に含まれているなら、それって本音とは程遠くない?って話。
これは自分の場合だけど、例えば誰かにめちゃくちゃイラついたときに
「あいつマジでムカつく!ぶっ飛ばしてやりたい!なんでこっちがやらないといけないんだよ!」
...という感情をSNSに投稿することはないです。
「俺の人生がこうなったのも全部◯◯のせい!俺は何も悪くない!!!」
こういうのも投稿しません。
自分の見栄えが悪くなるようなことは載せたくない、って思うから。
ドス黒いモヤモヤも本音の一つなのに、発信しないことを選んでいるわけ。
「本音を言ってます!」って言うわりに、どの本音を発信するか、を実はちゃんと選別してるってことだな。
「この感情はネガティブな内容だから読む人を不快にするかもしれない。だから投稿するのはやめておこう」
自分では理性的な判断をしているつもりになってフタをしてる。あ、でもフタをしてる自覚はなかったかな。
だからタイムラインにはキレイで前向きな言葉ばかりが並ぶんだな。ドロドロしたものは全く出てこない。
『ブラックな感情が湧かないくらい人間性が成長して、落ち着いている』
ではなく...
『ないように魅せているだけで本当は心の中に存在し、溜め込んでいる』
現実の世界で愚痴やモヤモヤを言えない人が、匿名の世界でなら言えるようになる!
そんなわけがなかったんよね。
自尊心はズタボロ。
人生何やってもうまくいかない。
周りに迷惑ばっかかけている。
そう思っているからこそ、これ以上惨めな姿は見せたくないって考えたし、家族や友達に弱音とか本音はもっと言えなくなりました。
で。
SNS上で投稿する言葉を選別し続けると、少なからず承認を得られるんですよ。
すると氷山の一角でしかない『選ばれた本音』が、まるで自分自身の全てであるかのように思えてくる。
これが自分の全てです!やりたいことです!本心です!って感じに。SNSの魔力だな。
あれっ、現実とあまり変わらないじゃないか。
結果は理想の自分を演じているだけじゃん!
もし、やたらと前向きでポジティブな投稿ばかりの人に違和感を覚えたなら、その直感は多分合ってる。
そういう人のところには、似たような人達が集まっている印象です。
真っ黒な感情は、家で日記に書くか、本当にクローズドな空間で話すか。この2つが突き抜けて良いような気がします。
他人に聞かれない人や場所がないと内観も捗らないなぁ、と改めて思いました。



