14頭立てのレースで3連複を『軸1頭→7頭流し』と、抑えで馬連6頭BOXを買ったことがある。
昇級初戦で距離延長、しかも今回が初経験の距離を走る4番人気を切って馬券を組み立てた。
結果は軸馬が3着に入り、切った4番人気の馬が2着。1着は6番人気。
2、3着の差は半馬身。
もし逆だったら馬連は取れてた。
切った馬が最内をスルスルと上がってきたときは、全身の毛穴から生命力が漏れていくような無常感に
襲われた。
なんで!どうして!って悶々としたもんだ。
6,000回転でBIG25のREG32とかいうジャグラーが空いていたのに、自分が打った途端に設定マイナス26くらいの確率でしかボーナスが引けず、前任者が作った山を見事に下山した。
せめて設定1通りの数値で引けていたなら傷は浅くて済んだのに、高設定もどきのデータの台を打つたびに大火傷をする。
これならクソみたいな履歴の台に座ってた方がマシだったんじゃない?
カイジのように「起こってくれよ、普通の事象!確率!」とイライラして、無言で帰宅したことが何回あったかな。
ボートレースのG1ドリーム戦で、壁になりそうな2号艇を2着に信頼して厚めに舟券を買ったら、1マークでその2号艇が転覆。
スタートで出遅れたり、捲られたりして着外に沈むならまだしも、完走すら叶わない結果に憤慨した。
大きく張ったときに限って、勝負の土俵にすら上がれない。
何万円か負けた状態で打ったパチンコ。
奇跡的に重い初当たりを取って、これがSTに入って平均的に継続すればなんとかなるかも。
でも、そういうときにSTを取れた記憶って全くないんよな。
いつもいつも確率は理不尽で、もし神様がいるならそいつはめちゃくちゃ性格が悪いと思ってる。
希望や救いに思える爆勝ちや万馬券を期待してはいないし、決して高望みはしていない。
ただ今日の虚無を擦り傷程度で済ませてくれたなら、それでいいんよ。
本当それだけなのに、お金が尽きる瀬戸際や勝負どころで心を折る展開が毎回のように訪れる。
おまえ、わざとか?と言いたくなるくらいに。
本当、ギャンブルは理不尽だよ。
自分の立ち回りとか馬券の買い方、引き際をどんなに見直しても、殆ど意味はなかった。
本命候補を2頭に絞ったとき、選ばなかった方が馬券内に来る確率は95%くらいあるんじゃないかな。
なんてセンスがないんだ、と自分を恨みたくなる。
でもこれを人生単位で考えてみた。
ギャンブラーが10人いたとして、人生トータルで勝ち越せる人は1人か2人くらいだと思う。
プラマイゼロって人は多分いなくて、8〜9人は負ける。人生単位で負ける。
人生は1回しかないのに、2割程度の『当たり』をその1回きりの人生を賭けて引きにいくのは無謀すぎる気がする。
理不尽な展開も、人生を1日打つジャグラーで例えるならブドウ1回分くらいの事象でしかないんだと思う。
ギャンブルをする人生は「設定1のジャグラーを丸一日打って、負けたら自己破産か自害」とかいう企画のようなもので、中には朝からストレートで2万円飲まれる下振れに襲われる人もおるやろ。
そうなったらもう取り返すのは不可能に近いよね。
たかが一度の下振れだけど、これを人生単位で取り戻すのも無理。
一度のハマりを1ライフ賭けて取り返すのは無理。
何が言いたいかって。
確率に蹂躙されて発狂しそうになってるけどさ、そもそも人生単位で上振れさせるのは無理なんやから、さっさと諦めろって話。
小役程度のちっちゃいギャンブルに一喜一憂したところで、大きく下振れしたギャンブル人生に復活演出が起きることはないんやから。
朝イチ1,000ゲームはまったあとで、ブドウ1回分程度のしょぼい出来事にいちいちイライラすんなって。
そもそもたった1日程度の試行回数で確率の収束を求めることが間違ってるんよな。
つまり、人生一回程度の試行回数で確率の収束を願うのが間違ってる。
目の前に『1/10でお金に困らない人生。ただしハズレたら死ぬまで苦しむ人生』みたいなガチャがあって、命をBETしろって書いてたら絶対に引かないやろ。
そんなリスキーなもん、手を出したくないはずなんよ。
こんな感じのスケールで博打人生を振り返ってみたら、たかだか数百分の1程度の確率にグチグチ文句を言うのが段々と小さく思えてくるよ。
下振れしたなら損切りして終わり。もう手を出さないこと。