1月24日(水)、新国立劇場でチャイコフスキー作曲の『エウゲニ・オネーギン』を鑑賞した。
今回改めて発見したこと。
私は公演中にしばしば眠くなってしまう。最近の公演ではずっと眠くなっていたので、もうオペラを鑑賞するのは止めにしようかな、とも思っていたのだが。。。
今回の公演。
30分の休憩を挟んで、3時間。最初から最後まで一瞬たりとも緊張が途切れることがなかった
眠気どころか、何度も涙ぐんでしまったほど
結局、眠気が襲うのは、残念ながら、私にとっては、それだけの公演だったということ、はっきり言って、退屈だったということなんだ、と得心がいった。
私は、5年前にも今回と同じ演出の「オネーギン」を鑑賞している。
その時は、オリガの化粧がまるでおてもやんみたい、とか、タチヤーナ役のソプラノがすごく綺麗だ、と思ったくらいで、そこまで印象に残る公演ではなかった。
しかし、今回は、第一幕の最初からチャイコフスキーの音楽が心に染み込んできた。
前回の公演では、オリガ役が日本人メゾで、レンスキーとのバランスを欠いていたのだが、今回は、主要配役の5人が全員(名前から判断するに)ロシア系で、非常にバランスが良かった。
原作は、プーシキンの散文詩。
やはり、ロシア語を母語とする歌手じゃないと感情移入ができないよね。なにせ”詩”なんだから。表に現れない裏の意味とか、言葉のリズムとか、ことばから広がる連想とかもあるだろうし。
私の個人的な印象では、
タチヤーナ > レンスキー > グレーミン公爵 > オリガ > オネーギン
の順で良かった。
タチヤーナを演じたシウリーナは、小柄ながら、よく響く美しい声で、夢見る若いタチヤーナになりきっていた。
”手紙の場”では、延々と一人舞台が続くのだが(歌詞はプーシキンの原作そのままとか)、全身耳になって聞き惚れてしまった。
”魂に響く歌唱”とはこういう事をいうのだろうか。
”上手い歌唱”と”魂に響く歌唱”の違いのがどこにあるのかはよく分からない。とにかく、単なる技量を超えた何かがあることだけは確かである。
レンスキーを演じたアンティペンコ(テノール)も非常によかった。第一声を聴いた瞬間に、胸の奥にビビっときた(笑)
でも、夢想家のレンスキーにしてはちょっと強い声質だから、ヴェルディなんかの方がもっと合うかもしれない。
オリガを演じたゴリャチョーワはかなり個性的な声質なので、好き嫌いが分かれるかも。どことなく、ハスキーな演歌歌手を連想してしまったのは私だけ?
今回私の中で、相対的に一番評価が低かったのは、タイトルロールを演じたユーリ・ユルチュク。非常な長身で、190センチは軽く超えそう。別に悪くはないんだけど、彼の歌唱は心に響かなかった。
でも、これって、ユルチュクだけの責任か、って言われると難しい。だって、オネーギンという人物自体が、いわゆる”魅力的”という範疇には入らない人物像だから。
シニカルで、斜に構えて人生を見ている。タチヤーナやレンスキーを上から目線で見てる。若くして心が干からびている感じ。
チャイコフスキーの音楽も、演奏も素晴らしかった。全体の印象としてまるで映画を見ているようだった。
背景に徹した気を衒わない演出にも好感が持てた。
本当に久々に”琴線に触れる”公演でした
ちなみに原作によると、
レンスキーはなんと「まだ18にもならぬ」ということ。
純粋で夢想家で、オネーギンに対する嫉妬と、オリガに裏切られたと思い込み、逆上して、オネーギンに決闘を申し込むというのも頷ける。(実際は、オネーギンもオリガもレンスキーを愛していたのだが)
オネーギンの年齢は26歳。
ただし、レンスキーとの決闘の時か、タチアーナと再会した時の年齢かどうかは定かではない。
26歳にして、既に人生に退屈して、“ふさぎの虫”に取り憑かれている(今風にいうと、鬱状態?)という設定。
タチヤーナの年齢は書かれていないが、レンスキーが18歳ということは、それ以下だと考えるのが妥当だろう。
”ばあや”は13歳で結婚したというし、現代の我々の感覚とは全然違う時間感覚であったことは間違いない。
指揮:ヴァレンティン・ウリューピン
演出:ドミトリー・ベルトマン
管弦楽:東京交響楽団
タチヤーナ:エカテリーナ・シウリーナ
オネーギン:ユーリ・ユルチュク
レンスキー:ヴィクトル・アンティペンコ
オリガ:アンナ・ゴリャチョーワ
グレーミン公爵:アレクサンドル・ツィムバリュク