9月30日(土)、東京文化会館にて、ソニア・ヨンチェヴァ、ソプラノコンサートを鑑賞した。
ヨンチェヴァは、ローマ歌劇場公演の『トスカ』に出演するために来日したのだが、そのついでに(?)コンサートも開催することになったもようである。
客の入りはまずまずだったように思う。ただ、私の席は、3階の最後尾(4列目)だったが、その一角の3列目、2列目にはだれもいなかった。
最初の第一声を聴いた時、『トスカ』を聴きに行かなかったことを後悔した。”豊穣な”という形容がピッタリくる声に初めて出会った。
ヨンチェヴァはMETライブビューイングにはすでに何度も出演し、お馴染みになっている。劇的な表現に向いた、豊かで艶のある声。”ふくよか”、”深みのある明るさ”、”美しい”、全部なんとなく言い尽くせない感じ。やっぱり”豊穣な”っていう形容が一番近いかな。。。例えていうと赤ワインみたいな🍷 (今、飲みながら書いているのでつい連想が(笑)
音程の幅が広く、低音もはっきり聞こえるし、弱音も力が抜けるんじゃなくてエネルギーがこもっている感じ。息継ぎの音も音楽の一部のように聞こえる!
特に素晴らしかったのは、第一部の最後に歌った<イモジェーネの狂乱の場>(ベッリーニ作曲の『海賊』より)
パンフレットの説明によると、
「公妃イモジェーネが、かつての恋人グアルティエーロの身を案じながら、格別に難しいこのアリア・フィナーレを歌う。錯乱の兆候を見せる公妃は、まずは現実と妄想の間を彷徨ってから、カヴァティーナ(アリアの前半)で今の夫への哀願を口にするが、恋人の処刑の宣告を知ってのカバレッタ(アリアの後半)では、流血のイメージに苛まれつつ、上行と下行の音型(スケール)を繰り返し、混乱する胸中を声ひとつで描き上げる。」
『海賊』はあんまり演奏されない演目だが、さもありなん。
「息継ぎする場所すら見つけにくいという、歌手には容赦のない音運び」とパンフレットにあるように、美しい旋律ながら、アップダウンの激しい非常に早いパッセージを歌いながら、しかも、錯乱する胸中を劇的に表現しなければならない。
パンフレットには、ヨンチェヴァがミラノスカラ座でイモジェーネ(『海賊』より)を歌った時の写真が載っていた。
最後は、オペラでは稀なスタンディングオベーション。いつまでも拍手が鳴り止まなかった。
私は、一般的にコンサートってあまり好きではない。昨年聴いたオロペサ、ゲオルギュー、ドミンゴ、皆、肩透かしだった。でも、ヨンチェヴァは例外。おそらく、『トスカ』の舞台では、さらに実力を発揮したのではないだろうか。鑑賞しないで、本当に惜しいことをした。
【第一部】
ジュール・マスネ作曲
◆歌劇『タイス』よりタイスの瞑想曲(オーケストラ)
◆歌劇『エロディアード』より”美しく優しい君”
◆歌劇『タイス』より
”ああ、やっと一人になれた〜私を美しいと言って”(鏡の歌)
ヴィンチェンツォ・べッリーニ作曲
◆歌劇『カプレーディとモンテッキ』より序曲(オーケストラ)
◆歌劇『海賊』より<イモジェーネの狂乱の場>
”ああ、目の前にかかる雲を”〜”その無心の微笑みで”〜
”おお!太陽よ!黒いヴェールで空を”
【第二部】
ピエトロ・マスカーニ作曲
◆歌劇『カヴァレリア・ルスティカーナ』より間奏曲
(オーケストラ)
フランチェスコ・チレア作曲
◆歌劇『アドリアーナ・ルクヴルール』より
”私は創造の神のいやしいしもべ”
ウンベルト・ジョルダーノ作曲
◆歌劇『アンドレア・シェニエ』より”亡くなった母を”
ジャコモ・プッチーニ作曲
◆歌劇『マノン・レスコー』より間奏曲(オーケストラ)
◆歌劇『妖精ヴィッリ』より
”もし私がお前たのように小さな花だったら”
◆歌劇『マノン・レスコー』より”捨てられて、一人寂しく”