7月4日、METライブヴィーイングの9作目『ドン・ジョバンニ』を鑑賞した。(新演出)

 

 

今回の演出を手掛けたのは、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ。

 

ドン・ジョバンニを、重層的な人格を持つ人物としてではなく、冷酷で暴力的な悪人(殺人、強姦未遂、セクハラ男)として描いている。

 

 

ドン・ジョバンニの株が劇落ちしたのと対照的に、爆上がりしたのが、ドン・オッターヴィオ。

 

面白いものだ。ストーリーはバランスが大事。一方の極が下がると、他方の極が上がる。

 

今回のオッターヴィオは、愛する女性のために、父親の仇を討とうとする勇ましさ、彼女の心の傷が癒えるまで結婚を待とうとする優しさを併せ持つ理想的な男性として輝いていた。

 

もちろん、ベン・ブリスの卓越した歌唱がそれを支えていたのは言うまでもない。

 

 

また、今回のドンナ・アンナは貞節の塊。本当はドン・ジョバンニと関係を持ったんじゃないの?なんていう下衆の勘ぐりは全く寄せ付けない。ドン・オッターヴィオとの愛情あふれる演技は実に自然で俳優並み。

 

演じるのはアナ・マリア・マルティネス。長身で姿形の美しい若いソプラノ。美しい声、滑らかで力みのない歌唱、聞き惚れました〜。

 

対する、ドンナ・エルヴィーラは、年季の入った妙齢のご婦人。若いドンナ・アンナに一歩も引けを取らない堂々たる存在感。若干”気狂い”気味じゃないの、なんて、露ほども疑う余地がないほど凛としていた。

 

 

従者のレポレッロは、本当にお気の毒としか言いようがない。こんな極悪人の主人に暴力的に扱われて。散々悪口を言いながらも、女にすこぶるモテる主人に対する、嫉妬と憧れがないまぜになった感情なんて、微塵も感じられなかった。

 

 

と言うわけで、ドン・ジョバンニを徹頭徹尾悪人に仕立て上げた結果、彼を取り巻く人間たちもすっかり性格を変えてしまい、モーツァルトが描く、人間がもつ微妙な機微がこそぎ落とされて、勧善懲悪的なストーリーになっていた。

 

 

ペーター・マッテイは、この演出に納得して仕事を引き受けた、と言っていたけど、彼の持ち味と暖かみのある声質にジョバンニ・ホーヴェ演出は合っていないように感じた。

 

 

色々書いたけど、じゃ、この公演に不満かと言えば全くそうじゃなくて、実力のある歌手陣の歌唱を堪能できて、とても満足しました。

 

 

若干疑問に思ったのは、マゼットの人選。重い声で、モーツァルトの軽快な音楽との齟齬を感じた。演じたのはアフリカ系アメリカ人。もしやポリコレを念頭に置いた人選なのでは?などと穿った見方をしてしまった。

 

 

指揮者のナタリー・シュトゥッツマンはMET初出演。元は歌手だと言うことなので、ドミンゴ系列? 丁寧でしかもイキイキとした演奏でとてもよかったのだが、若干テンポが遅い場面があったような。。。 もしかしたら、元歌手ならではの配慮で、歌手に存分に歌わせるために、遅らせ気味に演奏したのかしら?

 

 

最後に、余談だが、今回の公演は背の高い人が多かった。

 

超長身のマッテイに始まって、レポレッロ(太目だけど)、ドンナ・アンナ、オッターヴィオ。ソプラノやテノールでもここまで長身の歌手がいるとは。METはビジュアル重視だからね。映像向きのキャスティングでした。

 

 

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指揮:ナタリー・シュトゥッツマン

演出:イヴォ・ヴァン・ホーヴェ

 

ドン・ジョバンニ:ペーター・マッテイ

レポレッロ:アダム・プラヘトカ

ドンナ・アンナ:フェデリカ・ロンバルディ

ドンナ・エルヴィーラ:アナ・マリア・マルティネス

ツェルリーナ:イン・ファン

ドン・オッターヴィオ:ベン・ブリス

マゼット:アフルフレッド・ウォーカー

騎士長:アレクサンダー・ツィムバリュク