6月1日、新国立劇場で『サロメ』を鑑賞した。(全1幕)

 

ブログを書くのが遅くなって、かなり記憶も薄れてしまったのだが、記録として残しておきたい。

 

 

実は、その10日前に、日生劇場で『メデア』を鑑賞したばかり。

 

「サロメ」と「メデア」。どちらも、並みの人間には到底理解しがたい異常心理の持ち主。

 

 

メデアは、前夫に復讐するために、前夫との間に生まれた愛する二人の我が子を手にかける。サロメは、自分を見ようともしなかった男(預言者)に対する思いを遂げるために、男の首を要求し、生首にキスをする。

 

しかも、恍惚として!!

 

 

ヨカナーンの生首を抱いて陶酔するサロメ。

 

”ああ、あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の唇は苦い味がする。血の味なのかい、これは? いいえ、そうではなうて、多分それは恋の味なのだよ。(・・・)あたしはたうとうお前の口に口づけしたよ、ヨカナーン、お前の口に口づけしたのだよ。”(訳:福田恆存)

 

サロメの神をも恐れぬ異常心理は、父王(義理の父)ヘロデの恐怖心を煽り、彼はサロメの殺害を命じる。

 

 

 

サロメは、ヨカナーンと言う人間に恋をしたのではなく、ヨカナーンの”唇👄”と言う物体に恋をしたのだ。

 

”あたしはお前を恋してしまったのだ。(・・・)恋しているのはお前だけ・・・あたしはお前の美しさを飲み干したい。お前の体に飢えている”

 

サロメは、ヨカナーンの”白い体”、”黒い髪”、”赤い👄”と言う物体に恋をし、その物体を欲した。ゾ〜ガーン

 

 

R.シュトラウスは、ワイルド作の『サロメ』を読んで、まるで、”音楽を求めているように感じた”、と言う。戯曲のセリフ(ドイツ語訳)をそのまま台本として使っている。

 

今回、福田恒存訳の『サロメ』を読んでみたが、本当に全くオペラの台本そのまま!!であった。

 

 

戯曲としては短いが、これを1幕のオペラに落とし込んだのだから、相当のスピード感が求められる。ワーグナーのようなゆったりとしたテンポ運びとは全く異質なもの。このスピード感があって初めて戯曲そのままのオペラ化が成功したと言える。

 

 

さて、今回の公演だが、

 

指揮はコンスタンティン・トリンクス。

 

劇的な演奏で、演奏だけを聴けば素晴らしかった。ただ、歌手陣への配慮が足りなかったのではないだろうか? 時々、歌手の声が演奏にかき消されてしまった。オケと歌手の一体感と言うものがあまり感じられなかった。

 

それとも、『サロメ』って、こんな風にオケと歌手陣が張り合うような演奏スタイルを取るものなのだろうか? 私にはわからない。

 

 

歌手陣で一番心に残ったのは、ヨハナーン役のトマス・トマソン。落ち着いた深い声のバス・バリトンで、オケに負けない声量の持ち主。上背もあって舞台映えがする。ワーグナーもよく演じていると言うことで、さもありなん、と納得する。

 

ヘロデを演じたのは、イアン・ストーレイ。サロメに懸想するロリコンのスケベ王を好演した。若干軽めの声もあって、重い舞台にちょっとした息抜き感をもたらしていた。

 

 

さて、サロメを演じたアレックス・ペンダ。

 

小柄だが、芯のある強い声の持ち主。若干弱音に難がある気がするが(オケの音量のせいもあるかも)、難役を好演していた。出ずっぱり、歌いっぱなしの上に、「7つのヴェールの踊り」まで踊り、最後は肌を露出しなければならないのだ。サロメ役も大変だ。(今回は、キラキラビーズのビキニ👙をつけていた)

 

 

演出は奇を衒わず歴史に即したオーソドックスなもの。サロメの真っ赤な衣装が印象的だった。

 

 

クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー

 

【指揮】コンスタンティン・トリンクス

【演出】アウグスト・エファーディング

 

【サロメ】アレックス・ペンダ

【ヘロデ】イアン・ストーレイ 

【ヘロディアス】ジェニファー・ラーモア

【ヨハナーン】トマス・トマソン

【ナラボート】鈴木 准

 

 

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